子どもだからこそ大事にされないこともあるらしい

 わたしの母親は優しい人だ。と思う、たぶん。友人や知人にも細やかに気を配っているのを何度も目にした。プレゼントでも相手が困らないように考えないとねと教えてもらった。
 仕事でそれなりに偉い役職についても横柄に振る舞うなんてことはなかった。すくなくともわたしが知っている範囲では、だけれど。

 けれど子どもたちに対してはその優しさが薄れることがあった。わたしに対して、毛が多いから早く脱毛しないとねとか、鼻はお母さんに似たらよかったのにねとか、容姿について何か言われることがよくあった。貶してはないけれど褒めてもいないし良い気分はしない。下のきょうだいは太っていたことがあって、デブだからなんて笑っていた。そんなの失礼なのに、他の人には絶対に言わないのに。

 仕事術として、部下が怒られる時には自分も必ずついていくのだと話していた。ひとりで怒られるのは可哀想だし、ふたりならその分気が楽だから、なんだって。確かにそうだなと思ったし、そんな上司がいたらいいなと思った。でもわたしが父親に理不尽に怒鳴られている時、母親は一度もわたしを守ったことはない。放っておかれたし、わたしが怒られそうなタイミングでは自分の用事を作って外出していたし、怒られた後に慰めてもらったこともない。それなのにお母さんの部下は慰めてもらったことがあるのだ。たぶん、怒られるたびに。

 いいなあ。ある意味では、お母さんにとってわたしは他人未満の存在だ。他人に優しくするほどわたしには優しくしてくれない。他人に気を使うほどわたしには気を使ってくれない。わたしは大事じゃないんだろうか?

 分かってる、もちろん、他人にはするわけないくらい時間もお金も使ってくれた。でも心のどこかで、家族なんだからいいよねと舐められていたのだって気づいている。大人になるまでにたくさん色んなことをしてくれたって分かっているけれど、他人にはしないようなひどいことだってした。

 世の中にもついうっかり、うちの母親と同じようなことをしてしまう人がいるかもしれない。子どもは大人と違うような気がするからだろうか。子どもは自分の所有物のような気がするからだろうか。本当は子どもだってひとりの人間で、他の大人とおんなじように感情があって傷つくんだって、つい忘れてしまうのだろう。

 もちろん、つい傷つけてしまうことだってあるだろう。そんな時はきちんと謝って、もうしないと約束して、それを守れば子どもだって親を信頼するし自分もそうなろうと思うのではないか。
 わたしもお母さんの、友人や部下に対する態度は尊敬できるし真似したいと思う。でも子どもに対する態度はまだ許せていない。謝ってもらったのは最近のことだから。だからわたしは子どもを育てたいと思わない。お母さんの真似をしたくないから。

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