メーワクかけたら駄目ですよね

 鬱だと母親に伝えたとき、母親は「他人に迷惑さえかけなければいいよ」と言った。その言葉がショックだった。母親としては優しさのつもりだったと思うけれど、わたしにとってはもう死んだほうがいいかと思うくらいの言葉だった。

 物心ついたときから、「めいわくをかけてはいけない」というのはなぜかわたしの第一の戒律だった。スーパーで欲しいお菓子があっても駄々をこねてはいけない。保育園でやりたいことややりたくないことがあっても、その場にそぐわなければ我慢しなくちゃいけない。先生に手伝ってなんて言ったらめいわく。出来ないなんて言ったらめいわく。

 そんなわたしでも、やっぱり子どもの時は少しわがままを言った。今はイオンになってしまった家から少し離れたジャスコに行った時、疲れたから帰りたいとお母さんに言った。そうしたら「パパが怒るからぐずぐず言うのやめなさい」と言われた。ああ、わたしめいわくかけちゃう。だから黙った。わがままはやっぱり良くないんだ。

 わたしが熱を出したら共働きの両親のどちらかは仕事を休まなければならない。大抵母親が休んでいた。仕事を休んだらそのぶん別の日に大変な思いをするというのを知っていた。だから熱がある気がしても体温を測りたくなかった。体調を崩したらめいわくだ。

 「人に迷惑をかけてはいけない」というのは正しい場面もたくさんある。図書館で騒いではいけない。電車で荷物を置いて席を占領してはいけない。公共の場では特にルールやマナーを守ることを重視される。

 けれどわたしの場合、どこまでが「迷惑」でどこまでがそうでないのか分からない。教えられたことがないから。とりあえず、親や先生の疲れた顔、ため息、舌打ちなんかで空気を読んで、これはやっちゃ駄目かもと少しでも思ったことはやらないようにしてきた。だから怒られることも少なくて、余計に何も分からなくなった。

 そうしたら「迷惑」の範囲はどんどん広くなってわたしの居場所はどんどんなくなっていった。わたし、生きてるだけで他人に迷惑かけているみたい。だって払った保険料以上に医療費を使っていると思うし。払った学費以上に税金を使っていると思うし。この歳で親の脛をかじって年金も税金もまともに納めたことがないし。生きてるだけで迷惑ってわたしのことだよね。

 だからお母さんが言った「迷惑をかけなければ」はわたしにとって「死ね」と同じだった。もちろんわたしの考えがおかしいだけなのは、思考では分かっている。でも感情では分からない。だって「これは迷惑じゃないんだ」って実感して安心したことはないから。

 何も分からない。分からないのを言い訳にして、たくさん迷惑かけまくってもいいかな。なんか世の中って迷惑な人多いらしいし。

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