外の世界はやっぱり怖くて

 カウンセラーさんに、周りの人に頼れるようになっていきましょう、と言われた。それはもっともだと思った。同時にわたしの一番苦手なことだ。だから少しずつ、勇気を出して誰かにお願いごとをしたり悩みを打ち明けたりしてみた。

 何人かのひとにはうつ病のことを話した。最初はみんな、大変だね、と優しく声をかけてくれた。それで良かったなあと思ったけれど、次第に心配されなくなって、今はひとりくらいだ。そのひとりはとてもありがたい存在だ。
 困惑した様子を見せた人もいた。それを見て申し訳ないなと思った。だからその人たちの前では出来るだけ元気に振る舞って、鬱のことは話さずにいる。

 もうすこし近しい人には、寂しい時や辛い時に連絡してみようということで、勇気を出してLINEをしてみた。その時は優しく対応してくれたけれど、後からそれが元で揉め事、というほどではないけれどぎくしゃくしてしまった。

 もともと人に頼るのが苦手になったのは、たぶん子どもの頃の経験が元だ。母は仕事をしていていつも大変そうに見えた。下のきょうだいが生まれてからはもっとそうだった。だから自分がしっかりして、迷惑をかけずに、少しでも力になれるようにと頑張った。父親は頼みごとをするとすぐ不機嫌になって怒鳴ったりした。だから最初から、父親に何かお願いするという選択肢はなかった。

 そうやってひとりで抱え込んでいたから、急に人に頼りましょうって言われても上手くいきっこないのだ。わたしの「頼る」は普通の人から見たらぎこちなく、意味不明で、重く見えるのだろう。だからみんな、少しずつわたしから離れていく。

 それに、普通の人たちは、ある程度自分の土台はしっかりした上でお互い頼ったり頼られたりしているのだろう。わたしには分からない空気感があるのだと思う。頼みごとをするときのノリ、とでも言えばいいだろうか。わたしにはそれがないから不自然に見える。

 カウンセリングの場は閉じた空間で、安全地帯で、無菌室だ。そこで人間関係はある種の教科書的なモデルとして扱われる。言葉にして頼みごとをする、きちんと説明したら受け入れてくれるだろう、人間は皆いい人だ、と。それを基に立てた戦略は、現実の世界では役に立たない。

 確かに大体の人はいい人だ。けれど人間はずる賢さとか、偏見とか、異質な人を排除する気持ちとか、悪い面も必ず持ち合わせている。コミュニティによってもそれは変わる。だから、人間関係の構築の仕方がよく分かっていないわたしにとって、精神科の診察室や、カウンセリングルームの外の世界は、未だに怖い場所なのだ。

 先生はそんな世界に触れながら自分を癒していきましょう、という。でも今のわたしにとって、外の世界は傷つけてくる場所で、古傷を治す前に新しい傷が増えていってしまうのだ。

 だからまずは、ひとりで自分を癒す方法を見つけたい。家でひとり、ぬいぐるみを抱きしめたり、何かを作ったり。誰にも邪魔されない、わたしだけの世界に潜って。

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