家族とか大丈夫なんで

 周りのにんげんたちは結婚とか子どもを持つとかそんな話をする。さもそれが当然で、幸せだと言わんばかりに。


 わたしは結婚にも子どもにも興味がない。いや、そう言うと嘘になる。それらがもたらす満足感や幸福感や安心感だけなら欲しい。一緒にくっついてくる苦労や不幸はいらない。いや、絶対に欲しくない。

 結婚生活や子育てに苦労がないなんてあり得ない。みんなそんなものだよ、と言われそうだけれど、それが嫌なのだ。

 ものごころついた頃からずっと、家庭の不和はわたしの中の重大事だった。小学校に上がる頃には、結婚なんてするもんじゃないと心に決めていた。少なくとも、分厚い契約書を作って、間に弁護士をふたりは付けて、それくらいじゃなくちゃと思っていた。離婚する前提で、一年ごとに契約を更新するのだ。

 下のきょうだいの面倒を見ることも、わたしの重大事のひとつに加わった。歳が離れていたから、怪我や事故に遭わないか見ていたり、遊び相手をしたり、ご飯を作ったり、いつもではないけれど、母親が仕事で忙しいときはそうしていた。母親がきょうだいの世話をしていればわたしは家事をやった。そうでもしないと母親は倒れそうに見えたから。
 きょうだいは特別手のかかる子ということもなく、普通か、それよりいい子だったと思う。それでも大変そうだった。実際大変だった。成長する喜びよりも、不安の方が大きかった。きょうだいが嫌な思いをしないように家庭の空気が悪くならないよう気を遣った。これから先、もっと嫌な思いをするだろうと思った。その予感は当たってしまった。わたしはきょうだいすら守れなかったのだ。


 本当は家族が欲しい。わたしが育ったみたいな、誰かが無理をして、誰かが辛い思いをして、誰かが不安になるような、そんな家族じゃなくて。優しくて、助け合って、健全に心配しあって、ときにはわがままも言ったり言われたり、そしてそれを許しあったりする家族が。

 でもその為にはわたしが努力する必要がある。わたしはそんな人間関係を作る方法を知らない。わたしが一方的に我慢したり気を遣ったりすることしか出来ない。そんな自分を変えたいと思って行動しても失敗ばかりで。

 だから家族なんていらない。これ以上頑張れないから。家族って多分、幸せとか嬉しさと、それを保つための努力の両輪で成り立っているのだと思う。でもわたしは努力をもう使い切ってしまった。家族ってやつのために使う努力を。いまさらもっと頑張れって言われたって、もう無理なんだ。みんなはまだ余力があるのかもしれないけどさ。わたしにはそんなのないから、家族を手に入れようとしたってすぐに壊れる。

 本当はわがままを言ってみたかった。何をしても見捨てないって信じてみたかった。本当は愛が欲しかった。でももうそのために頑張ることはできない。

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