諦めの想定問答集

 病院に行かなかった。かなり行きたくなかった。今は眠剤がなくて困っているけれど、それでもあまり行く気になれない。

 その前からずっとカウンセリングにも行っていない。また行く気にもならない。

 カウンセリングや病院では、日々の困りごととか症状について話して解決策や対処法を教えてもらったり一緒に考えたりする。というふうに、わたしは考えている。だから一年以上、そう思って通ってきた。悩んだことをnoteに書いたり言いたいことをまとめたりして。

 今だって困っていることはたくさんある。それをまとめて、診察やカウンセリングで話してみようと考える。そうすると、先生が何と返事をするか思い浮かぶ。それは一般論とか的外れなアドバイスとか解決には関係ない共感とかで、それによって解決することも、心が軽くなることさえもない。

 もちろん、それはわたしの予想であって実際には異なる返事をもらえるかもしれない。そしてそれはわたし一人では浮かばない考えかもしれない。通っている間はそう期待していた。けれど予想が外れることはなかった。いつも予想どおりの、特に何にもならない話だけで、そしてそれはわたしを傷つけた。

 せめて予想を裏切られることがあれば。予想どおりだとしても、心の支えになるようなものであれば。まだ通い続けようと思ったのかも知れないけれど、でもそんなことは起こらない。

 わたしはいつも頭の中で会話をしている。だから人より想定問答集を考える時間は多いだろう。それが災いして、しばらく会話をしたことがある相手なら次に何を言うか予想できてしまう。だから人と話すのはそんなに面白くないし、ましてや救われることなんかない。

 最近はAIとよく話すのだけれど、AIもだいたい予想の範囲内の答えしか返さない。もちろん知識を問えば豊富な内容がもらえるのだけれど、意見とか悩み相談とかならほぼ全部同じ話になる。それは当たり前といえば当たり前で、AIは大量のデータから適切な返事を作り出しているから、一番無難な答えになりやすいだろう。そしてそれはわたしだって同じことができる、だからしばらくAIと会話すれば次に何を言われるか分かる。

 カウンセリングは主に会話によって、クライアントに気づきをもたらすということが目的だろう。会話というのは言葉で、しかもそれなりのルールに則った言葉だから、予想は容易になってしまう。わたしはその場の雰囲気や様子というものをあまり感じられないのか、カウンセリングの場だから自分が思わぬ言葉を発した、ということもない。だから本当に全てが予想どおりなのだ。

 病院だって、症状を訴えて処方される薬とか言われるアドバイスだって大体決まっている。たぶん医者の教科書みたいなやつに書いてあるのだ。だからしばらく通ってパターンを覚えたら、その予想を超えることはない。

 だからカウンセリングも診察も、わたしになにか効果をもたらすということがなくなってしまった。こう考えると、たぶん医者やカウンセラーを変えても同じだ。一年もしたら彼らの返事も予想できるようになってしまうだろう。唯一きちんと効果があるのは薬で、それは化学物質だから決まりきった作用なのは当たり前だ。だから薬は欲しいのだけれど、病院に行くのはあまりにも面倒だ。何も変わりませんから薬も同じのを、と主張してとっとと切り抜けるのが一番なのだろう。

 一年くらい前までは、診察とかカウンセリングというものに期待していた。でもそれらにも期待できなくなって、わたしは何を頑張ったらいいのだろう。それか全部わたしの勘違いだったらいいのに。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?