わたしが欲しいのは、


 わたしが欲しい言葉を他人はくれない。当たり前だ、他の人はわたしじゃないもの。そしてわたしじゃないからこそ、わたしが求めている以上の言葉をくれる可能性もあるけれど、最近それは起きていない。だからわたしはわたしに欲しい言葉をあげたい。その前にどんな言葉が欲しいのか考えてみる。

 最初に思ったのは、「もう休んでいいんだよ」だった。結構限界なのかもしれない。夏休み、遊びらしい遊びはほぼ出来ずに毎日予定があった。最初に計画していたのと変わってしまったから、思っていたよりダメージは大きかったみたいだ。本格的に休学か留年をしようかと迷っている。

 次は、やっぱり「頑張ってきたんだね」と言って欲しい。直近のこともそうだし、これまでの人生のことも。わたしは子どもだったのに親に気を遣って生きていたから、それを労って欲しい。「そんなことしなくて良かったんだよ」というよりは、頑張っていたんだね、の方が嬉しい。そう、わたし、頑張っていたのだ。無意識に。子ども時代にもそれを言ってくれる人はいなかったから、誰かにそう言って欲しい。そのあと勉強や研究をやっていたのも、もちろん面白いからというのはあるけれど、でもどこかに頑張りはあった。凄いね、と言われるよりは頑張ったんだね、の方が良い。嫌なら辞めればいいんだけどさ。上手く言えないけれどやりたいとやりたくないの間でずっと迷っている。たぶん、時間とか人間関係とか結果とかを気にしなくていいならやっていたい。でもそうじゃないから苦しい。無理してることも多い。無理かも。そんな感じで、だからその部分はせめて頑張ったねと言って欲しい。

 あなたはそのままでも良いんだ、とも言われたい。うつ病を治さなきゃ、生活リズムを治さなきゃ、試験に合格しなきゃ、研究でいい成果を出さなきゃ、みんなと仲良くしなきゃ、せめて社交的でいなきゃ。そんな「こんな自分にならなければいけない」を打ち消して欲しい。周りの人みんながみんなわたしのそのままを受け入れてくれる訳ないのは分かるけれど、せめてひとりくらいは。

 こうやって書いてみて、この頃はこれと反対のことをたくさん言われたなと思った。相手は親や友達や恋人や先生や主治医や担当の心理士だ。もっと頑張れ、こうしたらいいのに、あなたのここは好きだけど……そんな意味の言葉たち。相手に悪気なんてなかっただろう。でもわたしは傷ついてしまった、欲しかったのと反対の言葉を言われるだけでにんげんって、いや少なくともわたしは、簡単に傷ついてしまうくらい脆いみたい。

 

 この言葉たちを自分で自分に言ってみる。頑張ってきたし今も十分頑張ってるよ、少しでもたくさんでも休んで。何も変わらなくても大丈夫だよ。

 少しは気分が楽になる。でも、少しだけ。たぶんこの言葉をかけるわたし自身がそれと反対のことを思ったりしたりしているからだろう。休みたいと思うけど努力してない自分に焦る。変われない自分は駄目だと思う。今までの頑張りに意味がなかったのかもと思う。

 それでなくとも、幼少期から否定の言葉をかけられたり、今はうつや不安障害と診断されてこころは不安定だ。だから他の人の助けが欲しい。他の人からそういう言葉が欲しい。でも「言ってくれ」ってお願いして言ってもらったんじゃ意味がなくて。色んな人に助けてとだけ言ったら全部裏目に出た。

 それでも助けてと言い続けるべき?もっとほかにやり方はある?違う人のところに行ったらいい?どうしよう。

 わたし、頑張ってる。こんなこと書いて悩むくらいには。それだけはここに確かに残っている。

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