HELP, I need

 今年は留年しようと思う。前々から書いてはいたけれど、もう休みたいと思った。このまま進み続けることは出来ないのも分かっていた。

 行かなければいけない試験を休んで、自分の中で少し大ごとにしたあと、一応親の許可らしきものも貰い、心理士のひととも相談して、休みたいなら休んだ方がいいということになった。休学ではなく留年なのは、もう単位が取れそうもないから。そういう状態だと、たぶん休学の許可が降りないんじゃないかと思う。分からないけれど。

 それより前に、休みたいですとか出来ませんと言えば良かった。でもそれが出来なかった。何度も何度も書いたように、助けてということも疲れを顔に出すことも苦手だから。

 だから何年か前から、助けてと言う代わりに色んなことをした。研究室を無断で休んだり、ありとあらゆる連絡を無視したり、自傷行為やオーバードーズをしてみたり、最後には自殺未遂もした。

 いや、自傷やODもその時は助けてと言うためにやっていたつもりではなかった。実際それをしていることは誰にも言わなかったし、リストカットの後は何が何でも誤魔化した。見られたかもしれないと思うと気が気でなかった。薬も医者にばれないように、処方されたものを溜めて飲んでいた。

 死のうとしたときだって、その時は本気でそうしようと思った。本当に死んだ方が良いと思ったし、何もかもどうでも良かったし、助けてくれるひともいないと思った。だからそれなりの傷痕になって今でも触れれば分かるのだろう。

 でもどこかに、もしかしたら助けてくれるんじゃないか、という期待があったのも事実だ。白馬の王子様よろしく、理解のある医師や心理士が現れ、自傷やODに気づき、ケアをしてくれたら良いのにと思っていた。そんな体験談が書かれたネットの記事を繰り返し読んだ。自分も助かりたいと思っていた。

 まだ、ただ助けてとだけ言うことは出来ない。なぜなら、みんな深刻に捉えてくれないから。体調が悪いので休みたいです。うつ病だと伝えている人だって、それを聞いてもすぐ良くなるだろうという返事しかしない。次はこれやっておいてねと言われる。みんな僕がうつ病だって忘れて、僕に愚痴を言ってみたり、僕の弱音を遮ってみたりする。だから助けてなんて言っても意味がないのだ。行動で示さない限り、誰も僕の言葉なんて信じていない。

 なにも、僕に限った話ではないだろう。SNSなんかでも、死にたいと言えばかまってちゃんだと笑われ、本当に死んだら自己陶酔のお悔やみの言葉がコメント欄に並ぶ。ODして搬送されたら迷惑だと叩かれる。ODで海外のアーティストが死んだらみんな悲しむのに。ストレスで動けなくなったって、そこにより分かりやすい身体的な異常、それこそ耳が聴こえなくなったりめまいが酷かったり、そんなことがなければ怠けだと言われる。仕事に行けないと玄関の写真を撮ってアップしたひとは、まだ知らない人に悪口を言われている。リストカット跡を見れば何も知らない人はメンヘラだと笑ったり気持ち悪がったりする。

 助けてという言葉はあまりにも軽い。その言葉が軽いんじゃない。発した人間は、それこそ死の淵を眼前にしながら搾り出すのだ。それなのに受け止める人間は、それをあまりにも軽く、かるく受け止め、受け止めてくれたらまだマシで、笑ってどこかへ流す。大ごとになるまで。

 だから僕が本当に助けて貰えたと思うのも、大ごとにした後だけなんだろう。大学院を辞めたとき、母親は分かってくれたと思った。自殺未遂したとき、主治医も救急で診てくれたお医者さんも優しいと思った。今だって休みたいと伝えた心理士や事務の方はとても丁寧に接してくれている。でもどれもこれも、僕が可能な限り大騒ぎしたから。そうじゃないとき、誰も助けてくれなかったじゃない?

 助けて、という言葉だけじゃどこにも届かないから、だから僕はまた自分の身体に心に人生に傷をつける。

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