自責をやめて、誰も責めない

 虐待などのトラウマがあるひとには、「あなたは悪くない」ということを分かってもらう必要がある、とものの本で読んだ。そして実際に、カウンセリングの中でもそのことは言われた。

 夫婦関係が悪い中で子どもなりに一生懸命頑張っていた僕に、二人の問題はあなたのせいではなかったんだと教えてくれた。怒鳴るのも大声で威嚇するのもあなたが悪いからじゃないんだと。

 それを知って、次はじゃあ両親が悪かったんだ、と思った。許すべきか、許さなくてもいいか。縁を切るか、仲良くしたままでいるか。

 けれど、お母さんがわたしにあんなふうに接した理由は十分に理解できる。お母さんは悪かったんだ、と言い切れない。落ち度はあった。でも良いお母さんだ。お父さんは、やっぱり色々とひどいなと思うけれど、その原因まで探ると、きっと本人の幼少期体験まで戻ってしまって、ただの悪人とは思えなくなるだろう。

 そうやって考えているうちに、「あなたは悪くない」、つまり「他の人が悪い」にすぐに変換されてしまったことに気がついた。ずっと自分が悪かったと責めていた。そうではないと言われたとき、じゃあ誰が悪かったの?お父さんとお母さん?と思った。それはずっとわたしを苦しめていた。

 でも何かを解決するとき、必ずしも犯人探しが必要なわけではない。それじゃあ建設的に前を向いたりできないこともある。もちろん犯した罪をきちんと償う必要がある場面だってたくさんあるけれど。

 だから、これはわたしがそう思った、というだけの話なのだけれど、トラウマ的な出来事の心理相談で「あなたは悪くなかったんですよ」と言われた時に、犯人探しの前に、そうか、わたしは悪くなかったんだ、よかった、と安心できたらいいかなと思った。ずっと自責してきたから、あなたは悪くない、と言われた瞬間から犯人探しして他責してそのひとを憎むようになってしまう。そして、これも個人的な体験だけれど、それはとても疲れることだった。でもあの人にも事情はあるし……と考えてしまうから。

 だから、「わたしは悪くなかったんだ」という事実に、それ以上のことを付け加えなくて良いと思った。じゃあ誰が悪いのとか、どうすればよかったのとか、そういうことを考えて思い詰めて辛くなる前に、そうか、わたし悪くなかったんだ、という安心感をしっかり味わっていきたいと思った。

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