人生の答え合わせみたいなやつ

 この頃の怠さは新しく増やした眠剤のせいかと思って切ってみたら、やはりそうらしく少しましになった。もともと眠剤ではなく、副作用を使って眠っているものだし、本来の効果はわたしにとって逆効果になるものだ。主治医はなにを考えていたんだろう、と思いつつ、試してみた理由も分からなくはないのでそこまで気にしている訳でもない。

 大学を卒業し、就職、結婚をしているような年齢になると、「人生の答え合わせ」という言葉がちらつく。別にそれだけが正解なんじゃないと思いながらも、ひとりぼっちの自分を振り返る。

 ひとりぼっち、と言うのは今まで憚られていた。一応連絡の取れる家族はいるし、恋人もいるし、たまには遊びに誘ってくれる友達もいる。けれどそれももう、何らかの時間切れらしく、ゆっくりと繋がりが途切れていっている。

 家族と言っても、ここに書いているみたいな苦しさを相談できる相手はいない。ついでに戸籍は完全にひとりだ。そんなの紙切れ1枚の話でしかないけれど。

 恋人と言っても、ここに書いている苦しさを100倍に薄めたくらいの話をして何度目かでうんざりされた。確かにわたしだって同じ立場ならそうかもしれない。最初にもうつ病のことなんかは話していたからつい頼ってしまったけれど、わたしの間違いだった。恋人にはきっとわたしより大切なものがたくさんある。その証拠にほら、LINEは今日も返ってこない。わたしも恋人にはそのわたしより大切なものを、わたしなんか忘れて大切にして欲しいと思う。だから結局さよならなのだ。

 友達も、そろそろ上辺だけの付き合いになってきた。たぶん今年で最後だ、義理でも誘ってくれるのは。会うたび薄らとネガティブな発言をされるのは疲れるだろう。わたしは必死に元気さを装ってはいるけれど、漏れ出る憂鬱を隠せてはいない。それに気づかれているのだろうし、それでわたしを避けるのはもちろん悪くない。

 先生からの信頼も失われているのが分かる。「無断で休む信用ならん奴」というのは、悲しいけれど事実だ。鬱がどうとか、そんなの他人には何の関係もない。

 一見「普通」の人生のレールに乗っていた頃はまだ気づかなかったし、見て見ぬ振りも出来た。けれどここまで来たからには、もうひとりだということを受け入れた方がいい。

 主治医に、友達を大事に、と言われたから、「わたしはこれまで優しくしようと頑張ってきたつもりだけど全然返ってこない」と言った。そしたら「頑張ってるってことは無理してるってことだから。そうじゃなくて自然にしてると返ってくるんだよ」と言われた。そう、わたしがこれまでやってきたつもりの気遣いや優しさは全部無駄な努力だったらしい。確かにいまの状況を見れば納得出来る。

 頑張らない、ということは、去るものを追わないということだ。わたしの言動について振り返って反省して、出来るだけ人前でそれを生かして、みたいな頑張りもしないということだ。ほとんど切れた繋がりをどうにか保とうと思ったりしないということだ。わたしにとって、人間と関わるのはそれだけで努力なのだから。

 別にひとりで大丈夫。昨日はコツコツ編んでいたマフラーが完成して嬉しかった。使うのはまだ先だけれど。また新しく何か作ると思う。ひとりでいた方が楽しいことはたくさんある。親も先生も医者も友達も恋人もいらない。

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