ひとりを受け入れたら、きっと楽だ

 この前友達と久しぶりにご飯を食べに行った。共通の話題、といえば結婚とか子どものこととか、将来の話が多い。それが苦痛だった。
 わたしそもそも、ひとと考えていることが合わない。子どもは作らないと決めている。なぜならお互いに不幸になるだけだと思うから。機能不全家庭で育ち、真っ当な家族というものを見たことがなく、愛に飢えたわたしが子どもを持ったところで、また同じように愛に飢えた子にしてしまうだけだろう。努力してそうならなかったとしても、わたしはとても苦しいと思う。どうしてわたしが喉から手が出るほど欲しても手に入らなかった愛情が、この子は簡単に手に入れられるんだろう、なんて思ってしまったら。というか、ほぼ確実にそう思うので。だから子育てなんか無理。
 でもほとんどの人はみんな子どもが欲しいと思っている前提で話をする。欲しくないなんて言えば質問責め、今書いたみたいな話をしたらクソみたいな空気になるわけで。だから曖昧に笑って頷く。

 カウンセリングや病院で、誰かに頼りましょうとか誰かと交流しましょうとか、そんなことばっかり言われているからすっかり洗脳されていたのかもしれない。人との関係を、意味も分からず求めていた。あの人に傷つけられたこと、傷つけてしまったこと。嫌われていないか、うざがられていないか。そんなことばかり思い浮かんでは落ち込む。

 ふと、わたしにとって人間って別に大切じゃないと思った。もちろん目に見えるところや見えないところで助けてもらって生きているわけだけれど、なんとなくイメージしていた「あたたかな人間関係」は、わたしを苦しめばすれど救ってくれることはなかった。わたしの気持ちを伝え、それに対する何事かを聞いて、できるだけそれを受け入れて、みたいな努力。結局誰もわたしを分かってくれないし助けてくれないじゃんという諦め。そしてそれらから導き出された、人間って全然優しくない、という結論。

 少なくともわたしの理想とする人間よりは現実の人間は優しくない。理想が高すぎるのだと思うけれど、でも、そのくらい優しくなきゃ傷ついてしまうくらい弱った心なのだ。そんな心をむやみに外の世界に曝す必要などどこにあるだろう?

 だから人間に期待するのも助けを求めるのも全部辞めた。別に嫌われたってどうでもいい、見捨てられたって最初からそんなもん。

 そんな人間たちのことを考える代わりに、趣味のことを考えてみた。今ハマっているのは洋服作りで、型紙やデザインを探したり考えたりするのが楽しい。そのうちニットも編もうと思っている。服に合わせたアクセサリーも作る。
 描きたい絵もまだある。練習もしたい。背景も上手くなりたい。
 最近は書けてないけれど小説もまた書こう。構想を練るところから始めると思うとワクワクする。

 そんなふうに、自分だけの世界に閉じこもる。隣には大好きなぬいぐるみ。寂しければ話しかけたり抱きしめたりしたらいい。いつもふわふわで優しいこの子がわたしの味方。

 そうしたらいつもの不安発作や抑うつ気分がマシになっていった。うん、やっぱりこの方がいいんだ。わたしの頭の中はじゅうぶんに楽しい世界なんだから。


 そんなわけで、しばらく、人間世界に心を砕くのはやめようと思います。戻ってくるかは分からない。

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