SOSとしての”メンヘラ芸”

(専門家でもなんでもないいち患者が書いています)

 僕は助けて、をいうのが下手くそだ。辛いな、疲れたな、と思ってもそれを口にすることができない。それどころか顔にも出ないらしい。本当に体調が悪い時でも隠せば母親すら気づかない。だから周りのひとに「大丈夫?」と言ってもらうことすらない。

 どうすればいいんだろう。本当は、きちんと理由とともに助けを求めるべきなのだろう。周りのひとは優しいし、たぶん助けてくれる。けれど、ひとりでいる時に今日は助けてもらおう、弱音を吐いてみよう、と決心しても、いざ誰かの前に立てばいつものヘラヘラした自分しか出てこない。そうして自分に失望して、もちろん助けは得られなくて、それの繰り返し。

 だったらいっそ、ステレオタイプな「メンヘラ」になってしまったらどうか。僕はそう思った。いつもは隠しているリストカットの痕をわざと見せる。今日ベンゾODしたんだよねとヘラヘラ笑う。構ってよ、何で電話出ないの、と何通もLINEを送る。
 ステレオタイプ過ぎて笑えてくる。自分の偏見が丸見えだ。でも、そうしたら、もしかしたら誰かが心配してくれるんじゃないかって思ってしまうんだ。

 助けて、とひとこと言えばいいだけなのに、それだけなのに、そのひとことは途轍もなく重い。それこそ涙が出そうになるくらいに。どうしてかは分からない。きっとちいさな頃からずっと、誰かに助けてって言ったことがないからだろう。助けを求めるなんて烏滸がましいことしていい存在じゃない、と感じてきたからだろう。

 敢えて「メンヘラ芸」をやってみせることで、僕の心は助かるのだろうか。たぶん助からないと思う。初めは心配してくれても、だんだんまたか、と思われるだろうし、最初から気持ち悪がるひともいるだろう。それが「助けて」の代わりだなんて気づくひとはいない。きっとそれにも酷く傷ついて、余計に誰にも助けを求めなくなるだろう。

 最近はお医者さんにも助けてを言えていない。良くなってきているよね、というストーリーについ乗っかってしまって、助けてを言えないのは自分なのに、助けてくれないと絶望してしまう。
 カウンセリングもしばらく行っていない。行った方がいいよな、と思いながらも、でもどうせ僕の苦しさなんて分かってくれないしな、とも思う。

 なんだか誰も信じられない。どうしてだろう?もう大丈夫そうだ、と感じたことは何度もあった筈なのに。それなのに、またひとを信じなくなって、元気そうな笑顔を貼り付けて、ヘラヘラと生きている。頑張ってるね、真面目だね、なんて褒め言葉すら僕を傷つけるくらいに、僕のこと誰もわかっちゃいないんだなんて思ってしまう。

 助けて欲しい。今度こそそう言おうと決心する。けれど結局勇気は出ない。リスカや未遂をする勇気はあるくせにね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?