波、きょうも溺れそうになりながら

 調子がいいときと悪いときが少しずつ分かるようになってきた。

 「病気になんてなりたくなかったのに」「どうしてわたしがこんな目に合わなきゃいけないの」「”普通”の家に生まれたかった」と思い始めれば、それはもう赤信号すれすれの黄信号だ。

 だからってどうすればいいのか。対処療法しか与えられていないけれど、薬を飲んで、とにかく寝て、絵を描いて小説を書いて、湯船に浸かるなりゲームをするなりして、こうやってnoteになにごとかを記して、そうしてやり過ごすことは出来るようになった。そしてやっと黄信号に止まることが出来る。それが出来なければもう寝込むしかなくて、そのまま真っ赤なランプが点灯する。

 黄信号が点滅し始めるのは、きっとプレッシャーから来る不安が原因だ。例えば試験、発表、そんなものたち。それそのものが不安な訳じゃない。成果に対する他人の反応が怖いのだ。世界は敵だ、と思い続けてきた僕は、きっと僕の成果物の欠点を見つけ、貶して、落第点を付け、そして怒り、呆れるだろうと思ってしまう。

 幼い頃から、父に与えられてきたものはそればかりだった。僕の行動の全てが父を怒らせていた、そんなような気がしていた。本当は全てではないだろう。しかしランダムに起こる怒りは、僕のこころを恐怖一色で染め上げ、何かを他人に見せることは即ち怒りを誘発することだと学習してしまった。

 こうやって原因も対処療法も分かっても、根本的な治療にはならない。それが哀しくて悔しい。望まぬ波に呑まれかけ、溺れそうになるのが辛い。他の人はきっとそうじゃないのに、なんて思ってしまう。

 それでも成長は成長だ、とも思う。でもこの歳でやっとか、とも思う。

 とにかく今は溺れないように、ただ水面から僅かに顔を出すだけ。

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