「それでもいいか」が遠い僕には

 僕にはやりたいのにできないことが沢山ある。
 規則正しく生活すること、毎日講義に出ること、定期的に実験をすること、勉強すること、その他趣味のこと。頑張りすぎると身体が動かなくなるのだ。涙が出て、起き上がれなくて、Twitterを無意味にスクロールしては絶望して。そんな日を過ごしてしまうのだ。

 だからたくさんのことを諦めている。特に本来いちばんやらないといけないはずの、毎日学校へ行くこと、が今は難しい。

 それに劣等感や罪悪感のようなものを覚える。学費を払ってもらっているのに。先生がせっかく講義をしてくれているのに。同級生たちは頑張っているのに。学校に行かずに家でだらだらしている僕は、ただの怠け者なんじゃないか。そうやって自分を責め始めてしまう。

 でもきっとそうじゃない、と思う。例えば自分と比べる。病気になる前から学校というものに縛られるのは苦手だった。特に移動教室がなくなってからは本当にしんどくて、休みがちだった。そもそも狭い教室に一日中、というのが苦手なのだと思う。
 そのぶん、家では勉強をしている。自分なりに勉強するのは好きだ。もしかしたら効率悪いかも、とか、試験で出るところ聞きそびれたかな、とか、そんな不安はある。けれど最後には卒業出来たらいいのだ。試験に受かるのは通過点ではあるけれど、たぶん振り返れば本当に点でしかない。今までそうだったみたいに。
 先生たちは、もちろん自分の話で理解が進んでくれたら喜ぶだろうけれど、自分で勉強するならそれはそれで良い、と思う人もそれなりに居るはずだ。どうやら講義に出るのは苦手だった、という僕みたいな人もいるみたいだし。

 他の人と比べてみる。本当は他人と比べるのはあまり良いことじゃないかもしれない。けれど無意識に比べちゃうから、まずはそれを並べてみる。やっぱり毎日講義に出ている人は凄いと思うし、それに比べて自分は、と凹んでしまう。彼ら彼女らは何を思って毎日講義に出ているのだろうか?何を思っても何も、学校だから行く、という感じなのかもしれない。僕ほど教室に居るのが苦痛ではないのかもしれない。(そういえば、僕は一方的に人の話を聞くのも苦手だ。集中できなくて飽きちゃう)
 じゃあ、あまり講義に出ない人は?でも彼ら彼女らは課外活動を頑張っていたりバイトで忙しかったりしているもんね、僕より大変なのかも。なんて思ってしまう。でも僕「より」というのは違うかも。大変さは比べるものじゃないもんね。色んな活動と勉強を両立することと、持病を抱えながら勉強をすること、どっちも大変で、そして全然次元の違う話だ。科学の世界では、次元の違うものは比べちゃいけない。人間どうしもきっとそうだろうと思う。

 僕は「まあ、こんなものか。こんな自分でいいよね」と思うのが苦手だ。もっと出来たんじゃないか……と思ってしまう。高校で学年1位を取った時に思ったのはこんなものか、だった。プライドだけが高くなって、心は空っぽのままで、ただ虚しかった。その虚しさを埋めるように周りに自慢していた。でもそれは勉強の楽しさに比べたらどうでもいいことで。
 たぶん昔にどんなに頑張ってもその上を求められ続けた経験があるからだろう。幼児だった僕に、際限ない気遣いを求められて、狭い世界で生き抜くのに必死にそれに応えようとした。けれどそれで満足してもらえたことは一度もなかった。だから僕はいつでも不安だ。こんなんじゃ足りない、まだだめもっと頑張らなきゃ、って。

 でも十分すぎるほど頑張ってきたと思う。キャパオーバーになって、だから病気になったんだと思う。せめて僕だけは自分に頑張ったねと言おう。好きなことをめいっぱいしていいんだよ、と。せっかくの今を楽しまなくっちゃ、と。


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