ひとって裏切るでしょ?

 幼い頃、父親が怒鳴っている家庭が嫌で、そんな父親に黙って従う母親も嫌で、母に「どうしてあんなのと結婚したの?」と聞いたことがある。「あんなの」と形容した通り、悪いニュアンスが含まれているのは母も分かったのだろう、「結婚するときはこんな人だって分からなかった」と答えた。

 それから人が信じられなくなった。もちろん、父親に言いがかりのように怒鳴られ続けたことの方が大きいのかもしれない。それでも、そんな父親でも昔は良い人に見えるように振る舞っていたんだ、という事実は衝撃だった。

 友達でも、先生でも、恋人でも、みんなわたしのことを心の中では嫌いかもしれない。そうでなくても、上辺だけの愛想の良さで接していて、何かのきっかけで、あるいはきっかけがなくても豹変するかもしれない。そう感じてしまう。確かに今までそんな人はほとんどいなかった。優しい人の方が多かった。それでも、心のどこかには常に恐怖がある。

 特に恋人に対してはそうだ。凄く優しくて気遣いのできる人。そう感じていて、言葉や行動のひとつひとつでそれを確かめることができるのに、だからこそ、いきなり豹変するんじゃないかと怖い。父親がそうであったように。
 だから言動の端々にモラハラの影がないか疑心暗鬼になってしまう。返事が遅かった、いつも数分遅刻される、たまに傷つくような言葉を使う。わたしをコントロールするつもりなのだろうか。もしこのまま一緒にいたら、いつの日か父親のようになるんじゃないか。

 SNSの普及もそれに拍車をかけた。パートナーのモラハラで苦しんでいる人たちを見る。そのほとんどが交際や結婚をするまで全くそんな素振りを見せなかった、気が付かなかった、と言う。母と同じだ。やっぱり気付かないものなんだな、と思う。だから、どんな人でも恐ろしい。もしかしたらこの人が、と思ってしまうから。


 人が怖い。怒られるかもしれないから。傷つけられるかもしれないから。裏切られるかもしれないから。そしてその痛みにすら慣らされ支配されてしまうかもしれないから。

 まだ、誰も信じられない。

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