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平成生まれの一人っ子が考える実家の味

18歳でフリーターになり、19歳で一人暮らしを始めて以降、実家の手料理を久しく食べていない。この一文だけみると大変な親不孝もの、非常にけしからん奴である。(実際そうなのだが)

共働きの両親を持ち、一人っ子だった私は、

  •  小学生時代:食事のほとんどを祖母の家で食べてすごす

  •  中学時代:平日は宅配食、土日は父母の手料理

  •  高校時代:平日はアルバイト先の社食か、自炊で一人分作るか。土日は友人と外食か、アルバイトか。ほんのたまに父母の手料理。

といった具合で、両親と食卓を囲む機会が少なかった。過去を振り返るも、これという実家の味を思い出せない。なんだかものすごく寂しいことなんじゃないか。いまならまだ間に合う。実家の味を知りたい、実家のご飯を食べたい。

実家は歩いて30分のど近所。それぞれ生活があり、なかなかご飯を一緒に食べる機会はない。そんな中、オットが会社の親睦会で一日不在にするという日ができた。これはチャンス!早速母に連絡をとる。

※と=とと戸
と「実家で久々にご飯を食べさせていただけないでしょうか」
母「くれば。何食べたい?焼肉?すき焼き?お好み焼きとか?」
と「そんな豪華なものじゃなくていいよ。いつも食べているようなご飯ならなんでもいいよ。実家の味、を味わいたくなりました」
母「生春巻き、ロールキャベツ。ロールキャベツは作るつもりだった」

とと戸と、母のLINEより引用

とんとん拍子で献立が決まった。ベトナム料理の生春巻きに、トルコ料理のロールキャベツ、それぞれ実家でよく食べていたものだった。ただ、流石にこの二つを同時に食べたことはない。一日で2品、実家の味を知れるとは。すごいことになりそうだ。

あとで聞いたところ、母が生春巻きを担当し、父がロールキャベツを担当するということだった。早々に家を出て行った勝手な娘の要望。まさか本当に作ってくれるとは思わず、申し訳なさと嬉しさの混ざった、なんともいえない気持ちになった。なんとなく緊張感もある。


【父】昭和の大男が作る、トマトロールキャベツ

父のロールキャベツ

春キャベツ1玉に、ホールトマト2缶を使い、大鍋になみなみ作られていた。大鍋が喜んでいる、美しい。100kg超えの父は、とにかくたくさんをモットーに、ダイナミックな料理を作る。料理後の後片付けができない不器用さからは想像もつかない繊細な味が魅力。ギャップがすごい。

【母】完璧オペレーションで作る、生春巻き

生春巻き

この生春巻き、結果的に私と祖母で作った。母は円滑に巻けるように誘導する司令塔となった。具材の皿、ふやかす用の水を机に並べ、次々に巻けるように最適な環境が用意される。完璧オペレーション。仕事人間である母らしいやり方。
祖母は数年前から認知症が始まっており、具材を入れる順番を忘れてしまう。忘れても何度も楽しくやることが大事。楽しけりゃ、入ってない具材があってもいいのだ。すごくいい時間だった。

【実食】2人用ダイニングテーブルを4人で囲む

これまで一人暮らしだった祖母は、認知症をきっかけに父母の家に合流。突然のことだったので、ダイニングテーブルはまだ2人用。普段なんとか3人でやりくりしている中、今日は4人目が来てしまっている。テーブルの一辺は棚が隣接しているため、向き合って食べることは叶わず。私は角っこに無理矢理入り込み、食べることに。無理をいったかと思うが、本当に来てよかった。あとどれくらい一緒にいれるかわからない家族。大事な時間を過ごすことができた。

【考察】実家の味とは。

実家の料理は「懐かしい」と感じるのがセオリーなのかもしれない。作り手によって味が変化する料理のロールキャベツ、完全に素材の味に依存した料理の生春巻き。この両極端な二つを同時に食べたことで、懐かしい点とそうでない点が浮かび上がってきた。その双方から、実家の味について、考えた。

懐かしさを感じた点

ロールキャベツは父がよく作ってくれたし、生春巻きはよく巻いたため、以下のような懐かしさは感じた。

  • ロールキャベツ

    • 「デカすぎて切りづらそうな家族の光景」

    • 「料理後の散らかったキッチン」

  • 生春巻き

    • 「生春巻きを巻く行為」

    • 「生春巻き同士がくっついて、破けるライスペーパー」

    • 「ベタベタになる手」

いわゆる、光景だったり感覚的な部分である。「ああ、こんなふうだったな」と、記憶が蘇って、あの頃の食卓を少しだけ思い出すことができた。

懐かしさを感じなかった点

素材の味が肝である生春巻きはもちろんのこと、ロールキャベツにおいても、「味においての懐かしさ」を感じることはできなかった。やはり要因は、実家の味を味わった回数の少なさと思う。バブルが弾けた頃に生まれたため、共働きは避けられなかったと思う。時代的なことも背景としてある気がしている。

もう一つは、月日が経ったこと。長らく二人で生活をしている父母。その間、様々な人生のイベントがあったと思う。環境が変われば、感性も変わる。使う調味料も、味覚も、動き方も変わる。人は生きている以上、変化してゆくと思う。父母にもたくさんの変化があって、味にも変化が出たのではないかと感じた。

結論

今日のところは、「我が家の実家の味は、進化・変化した」と結論づけることにする。ちなみに、今の実家の味はというと、柔らかさがありながらもしっかりしまった味。父が織りなす繊細さは健在だった。100kg超えの巨体でかなりザッパな作りっぷりだが、味は見かけで判断してはならないのかもしれない。

不動の「実家の味」がある家庭はどれくらいあるのだろうか。味噌汁などは家庭の味が色濃く出そうだが、うちではあまり飲まなかった。(その反動か、今は毎日飲んでいる)他の家の「実家の味」論がとても気になる。あとどれくらい実家の味に触れられるかわからないが、たまにまたこうやって、食べさせてもらおうと思った。そしていつか、わたしの手料理も振る舞いたい。

おまけ(戦利品)

大量に余った生春巻き(13本)・ロールキャベツは持ち帰る。定期的に焼いているという焼き芋もいただいた。焼き芋は家族全員大好物。実家ではお菓子の代わりに食べているらしい。なんて健康的なのだろう。

得意げな顔で父が「これやるよ」と渡してきた変わり種チーズたち。焼き芋と同じ袋に入れたため、蜜でベタベタ、押しつぶされてふにゃふにゃチーズは変形してもチーズ。そして味のチョイスが酒好きだなと感心した。

急におしかけて、料理を食べさせてくれた上に、大量の戦利品。実家は偉大である。

追記

大量に譲り受けた実家めしは五日間かけて消費。毎日生春巻き、案外いけるぞ。8割破けてたけどな。


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