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清潔のマイルールを「5W1H」と表で見える化してみたー見えてきた5つの法則

綺麗とは?

「綺麗好きですか?」「清潔好きですか?」「潔癖ですか?」と聞かれて返答に困る人はいないだろうか?
私はいつも「はい」や「いいえ」の一言で答えることが出来ずに困っている。真面目に答えるならば、「片付けは大好きですが、掃除にはそこまでの執着心はないんですよね。でも綺麗な方がいいです。潔癖ではないですが、知らない人が使ってた中古のものは買いません。でも回し飲みは平気でできます」といったようなまどろっこしい回答になってしまう。

辛味の種類が色々あるように、一言に「綺麗」と言っても「景観が美しい」「整っている」「分別されている」「菌が少ない」「ゴミや埃が少ない」など色々種類がある。

美=整理=整頓=掃除=清潔=除菌 ではない。


それぞれ意味を調べてみた。

美」は、主観的要素が大きいので個々の価値観によって変わってくると思うが、一般的に街並みや部屋などで統一感があるものに景観がいいと言われることが多いので、一旦ここでは美とは統一感があるものとしておこうと思う。

整理」とは、①乱れた状態にあるものをかたづけて、秩序を整えること。②不必要なものを取り除くこと。

「整頓」とは、散らかり乱れている物を、きちんとかたづけること。また、そうして整った状態になること。

「掃除」とは、掃いたり拭いたりすることによってゴミやシミなどの汚れを取りのぞくこと。

「清潔」とは、①よごれが無くきれいなこと。②汚物・病原菌などが(ほとんど)無く、衛生的なこと。

「除菌」とは、菌を取り除くこと。


6種類の綺麗を挙げたが、私の「美・整理・整頓」と「掃除・清潔・除菌」への執着の度合いに大きく乖離がある。私は美・整理・整頓が三度の飯より好きだ。暇さえあれば、いや、暇でない時でさえも、家の中や仕事場など、自分の周りの空間をどう整理・整頓してどう美しく見せるか、捨てるものはないか、そんなことを常に考えている。これらの作業のためなら多少睡眠時間や食事時間などの時間を削ることも厭わない。工場の作業用具のように大勢が使うわけでもなく、自分以外誰からも見られないような引き出しの中の中だって整っていないとモヤモヤして仕方ない。
気になるのは自分のものだけではない。散らかっているのが同じ会社の他の人のデスクであっても、視界に入ると片づけたくてウズウズする。許可を得られそうな人であれば、断りを得て有難く片付け&掃除をさせてもらうこともある。作業後に「ありがとう」と言われることもあるが、いやむしろ私「ありがとう」と言いたいのはこちらの方だ。私の心をスッキリさせてくれる機会を与えてくれたのだから。

対して「掃除・清潔・除菌」に対してはそこまでの執着はない。埃や汚れなどがない状態は好きだが、寝る間を削ってまで掃除をしようとは思わない。食べ終わった食器がシンクに置かれていても、気になりつつも「明日でいいか」と放置して寝てしまう。

「美・整理・整頓」と「掃除・清潔・除菌」の大きな違いは、前者は作業後に目に見える大きな変化があり、スッキリ+ワクワクがあるけれど、後者には作業後の変化があまり見えずらく、スッキリはあるけどワクワクがないからだろう。

また綺麗とは、汚くない、ということでもあるだろう。では汚いとはなんなのか?自分が感じる汚いものについてどういった基準があるか、5W1Hと表を用いて分析してみた。

What


汚い、触りたくない、と思うものには、人が触ったエレベーターのボタン、吊革、毛、脂、誰かが使っている眼鏡、足の裏、人間の糞尿、吐瀉物、ゴキブリ(生き物としては平気で見つけると手づかみで窓外へ放すことは可能)、野鼠、果物の汁などがある。
逆に他の人が不潔としているものでも、私がそれほど不潔と思わないものには、土、動物の糞、動物の毛、灰、飼鼠などがある。

Who

誰に対して汚く、嫌と感じるか。
男女問わずとして、サラサラしている人より脂の多い人、知っている人よりは知らない人の物の方が嫌である。
同じ生き物でも動物や虫は汚いと感じない。植物も汚いとは感じない。

また、生まれたての赤ん坊は菌が少ないとされているので、大人の肌に触れることに比べるとそれほど抵抗がない。

洋服も、仲のいい知り合いから借りる分には嫌ではないが、誰が来たか分からないリサイクルショップの古着を着たくはない。

Where

どこで触るのが汚いと感じるか。
自分の身体の部位で汚いものに触れたくない一位は断トツでだ。次に。手を使ってモノを口に運ぶからだろう。汚いものに触れてもあまり気にならないのは足やお尻。恐らく日頃汚いものに触れる機会が多く、汚いものに触れ慣れているせいだろう。極端な話、例えば性的被害を受けて嫌なのは、女性の大事な部分よりも、口の方が嫌だし、後々もずっと嫌悪感が残るのは口の方だ。

気になる                        気にならない
口 > 手 > お尻 > 足

When

いつ汚いと感じるか。
手を洗ったばかりの時は汚いと思うものにできれば触りたくない。逆に外出していてエレベーターのボタンに触れるなどして1度汚いものに触ったりしててしまっている時は「もういいや」となる。1度犯罪を犯した人が2度目の犯罪に手を出しやすくなるようなものかもしれない。
大人になると子供の時に平気だったものが汚く感じるようになる。
酔っぱらっている時は、しらふの時に比べて汚さにたいして無頓着になる。
他に優先度が高い欲求がある時、例えば電車の中で体調が悪い時、床が汚いと思っていても座ることを優先する。持っている荷物が重い時、本当は地面に置きたくはないけど、「仕方がない」と置いてしまう。

気になる時と、気にならない時の比較表


How

どのような状況を汚いと感じるか。
直接触って。目に触れて。想像して。。。
私は基本的には自分の身体に触れるものを汚いと感じる。

妊娠検査薬の画像を載せるのは、自分の尿をかけたものを晒すことなので不快なのでやめて欲しいSNSで発信している人がいて、賛同を得ていた。その人達の気持ちはよく理解できるが、私は平気だ。

買った新品の商品でも、作られる過程や私の元に届くまでにどういう不潔人生を歩んで来たかを考えると、汚く感じしてしまうので、なるべく考えないようにすることで回避している。

Why-見えてきた5つの法則

上記の各段落で書いてきたことをまとめると、私の清潔のマイルールは主に5種類に分けられる。

清潔のマイルール5種

・・・・解説・・・・

①人間界のものより自然界のものが汚いと感じないのは、愛着心の違いだろうか、異物感を感じているからだろうか?これについては説明がつかない。

②高齢者の家のテレビのリモコンが汚れているケースがよくある。それは、高齢者は目が見えなくなってきて汚れが見えていないからだ、という話を聞いたことがある。やはり自分が見える・見えないというのは不潔と感じる大きいポイントかもしれない。

③小中学校時代に給食で8分の1サイズくらいにカットされたオレンジやリンゴが給食で出た。果物は好きだったが、手がベタつくのが煩わしかったために食べるのを諦めていた。

④本来そう苦手ではないゴキブリなんかを汚いと思うのは、「ゴキブリがトイレの配水管を通ってきているのかも」、なんて想像をすると排泄物は汚い=排泄物が流れているところを通っているゴキブリは汚い、と理屈で考えているからだろう。

⑤人とハグをする、回し飲みをする、といった行為は嫌ではない。それは「汚い」よりもコミュニケーションという行為の優先度の方が上だからだろう。

私が汚いと思うもの、そうでもないものを図にしてみた。
左に行くほど汚いと感じるもの、右に行くほどそう思わないものだ。
同じものでも誰のものか、によって汚い度は変わってくる。

他人のものは一番汚く感じ、自然のものは汚く感じない

上図の対象物を、汚いと思う理由4種の項目別にデータ可してみた。

嫌悪感と菌が多いものは一番汚く感じる

表を見ると、「汚い」と思う理由には、菌や見た目の汚れなどの頭で考えている物理的理由と、ベタベタ・ヌルヌルなどの感触や自分の感情的な嫌悪感からくるものに分かれているというのが分かる。

総合的理由で汚いと判断している

「汚い」の基準は皆違う

私は古着が苦手だ。しかしその私が汚いと思う古着が全く平気でも、私が汚いと思わない猫の毛を汚いと思う人がいる。

私は唐辛子、胡椒や花椒は大好きで、和辛子は大嫌いだが、粒マスタードは大好きだ。

汚いという基準は食べ物の趣向と同じで、人によって基準が全く違う。私にとって汚いものでも他の人にとってはそうでないものかもしれないし、他の人にとって汚いものでも私にとってそうでもないものかもしれない。

#清潔のマイルール

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