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エフトゥシェンコの白い犬

 イギリスの政治家チャーチルは、己の鬱を「黒い犬」と呼び、抑鬱期の到来を「また黒い犬がやってきた」と表現したという。わかる~。
 私の元にも黒い犬が来る(それは全然豆粒サイズ=軽度かもしれないが)。何をしていても足元にまとわりついてきたり、部屋の奥の方にまるまっていたり、背後からねっとりとした視線を感じたりする時もある。
 以前は気配がしただけで「あっちいけよもう~~! シッシッ!」と邪険に扱ったり「犬……ですか? 何もいませんし、何も見えませんよ?」と気が付かないふりをしまくっていたが、今は「また来たのか、仕方ないワネー、なんか食ってくか?」くらいの待遇を与えることにしている。存在をないがしろにしようものなら、噛みついてきたり遠吠えしたりえらいことになる。あいつは人から睡眠と食欲を奪う(→まともな思考ができなくなる→風呂に入れなくなる。すっごく汚い!)。むしろ撫でてやったり寄り添ってやったりする方が、割とすんなりどこかへ帰って行ってくれる気がする。

 ところでロシアの詩人エフトゥシェンコはかつて白いボルゾイ犬を飼っていたという。名前はマロース。「マロース」は、ロシア語で「厳寒、極寒、冬将軍」などを意味する。すべての要素が格好いい。
 このマロースの話を知ってから、私の頭には白いボルゾイが住み着いた。陽光を浴び、白いカーリーヘアーをたなびかせながら、モデルのように長い手足を前に後ろにビヨーンと投げ出して無邪気に駆けまわる。足元にはタンポポがあったりして、その絵面は美しくて呑気。ボルゾイは人懐っこい。

 私の黒い犬、その姿を見せない時には、一体どこで何をしているんだろう。案外マロースみたいに呑気に駆けまわっているのかもしれない……と思うとなんか色々大丈夫な気がしてくる。気のせいかもしれないが、それでいい。ありがとーマロース。


備考:「黒い犬」元祖はサミュエル・ジョンソン(文学者)らしい。
https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000308072

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