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棒が好き

 棒が好き。チューペット、うまい棒、チョコバット。傘、竹刀、ドラムスティック。棒切れのような女性の脚、男性の珍棒。棒にもいろいろあるが、私が好きな棒は無機質な棒。手で握れる金属やプラスチックでできた棒状のもの、棒が好き。

 生後二~三カ月の人間に見られる把握反射。私の棒好きは、あの頃から始まっているはずだ。明確な記憶はないが、差し出される人間の指よりも、ひんやりとした棒の方が好きだった。ガラガラ、ラトルと呼ばれるマラカス玩具を手渡されるたび、当時の私の眼はハート型になっていたに違いない。ちゅきちゅき♡

 幼児になって出会ったのは鉄棒。自宅の最寄りの公園の鉄棒は木陰にあり、日差しの強い夏の日でもひんやりと私の手に包まれるのを待っていた。人間と異なり体温を持たず、こちらが握っても握り返すことはなく、ぶら下がれば、こちらから手を離さない限り黙してずっと握られている。年がら年中、日がな一日、鉄棒に触りたがった私を、父や母、兄や姉は抱きかかえて補佐してくれた。

 もう少し大きくなって電車に乗るようになると、私は手すりに出会う。あれも素晴らしい。ただし、気を付けないと先に棒を握っていた人間の体温が残留しており、そんな手すりは「ハズレ」だった。ぬくもりは不要。冷たく静かに存在してくれているのがいい。

 更に背が伸びて電車のつり革に出会う。あれもなかなかいいもので、プラスチック製の棒が三角だったり丸だったりに変形させられて吊る下がっているあれらは、熱伝導率の低さから金属製の棒よりも他人の体温がいつまでも残ることはなく、棒が好きな私の欲求を満たした。

 十代、小学校も高学年になると、みんなはどうやらそんなに棒が好きじゃないらしいな? ということに気づく。それまで休み時間になれば鉄棒で豚の丸焼きや逆上がり、前方支持回転や後方支持回転、地獄回りといった技の研鑽を行い、希望者にはレクチャーを行い、周囲を感嘆せしめていた私も、やがて「キメー奴」扱いをされるようになる。何せ十分間の休み時間ですら校庭に飛び出して鉄棒にぶら下がりたがったのだから、ヤバみこの上ないガキである。私が旗手となりクラスのほぼ全員、男子も女子もが鉄棒にハマり隆盛を極めた一大ムーブメントが過ぎ去ると、「弟子」たちはぽつぽつと減っていった。そんな中、私が完成させた奥義、地獄回りからの天国回り往復五回技(ヘル・アンド・ヘブン~ラウンド・トリップ~)を披露したそのとき、残っていた私の「弟子」は四人だった。私の大技を目にした彼らの反応は「うっわーー! 超ヤベエ! ヤバすぎて逆にキモイ!(笑)」「確かに。凄さ通り越してキモさ爆発(笑)」「鉄棒マスター(笑)キメエ(笑)」「ヤバ(笑)キモ(笑)」。ガーン。以来、クスクス笑いや軽い無視、陰口などを人並みに経験する。想定していた反応「俺もやりたい!」「私もやりたい!」とは全く違う白い目。自分はこんなに棒が好きなのに、みんな、棒、好きじゃないんだ……。

 しかしこの出来事のお陰で私は棒への欲を堪えることを覚えた。棒が嫌いになったわけではないが、さすがにこのまま友情や交流に使うはずの感情や時間を棒に全振りして孤独な子供時代を過ごすのは気がひけた。天才と呼ばれる人々はここでひける気を持たないのかもしれない。私は天才ではなかった。クラス中からの白眼視に人並みに傷つき、半ばやけっぱちで当時流行していたカードゲームを兄から拝借し、休み時間のカードゲーム大会へいきなり殴りこみ。十個上、大学生の兄はその財力をもって強力なデッキを組んでいたため、この威を借り、私は大会参加者を端から屈服させていった。こうして社交界に返り咲いた。

 孤独に棒と過ごす天才としての子供時代もアリだったかもしれないが、自らの天才性を犠牲にし、こうやって僅かばかりの社会性を身に着けることができたのは、決して悪いことではないだろう。尤も、棒があればお目目ハートのちゅきちゅき状態で他のことがどうでもよくなる性質ではあったので、孤独を感じるに至らなかった気もするが。しかし私は天才であることをよしとしなかった。もしかしたら、幼少期、鉄棒に手の届かない私を抱きかかえてくれた父母や兄姉への恩義がそうさせたのかもしれない。

 棒好きクレイジーなわが子を見て、両親は体操クラブへの入会を勧めた。見学に行った先で早速鉄棒を触らせてもらう。ぶーらぶらとぶら下がってみると、なんだこれ、しなるぞ。体操競技で使用される鉄棒は、学校や公園の鉄棒と異なり、その大きなしなりが特徴的である。材質は鉄であるが、ワイヤーを内包しており、ワイヤーを包む鉄は、高温から急速に冷却される焼き入れによって、「曲げ」への強度が高められている。なんか違うな。これは好きな棒と違う。
 体操クラブに入会することも、鉄棒競技に熱を上げることもなかったが、しかし己の信じる棒の棒たる棒性を認識した。私が好きな棒とは、頑として動かない、折れもしないがしなりもしない、人間が一人二人ぶら下がったくらいではびくともしない、人間を一人二人ぶん殴ったくらいではひん曲がることはない、強い棒。強い棒? この後私は中二の病も手伝ってか、鉄棒を鉄パイプに持ち替えると、己の暴力性を開花させた。

 しかしやはり私が好きなのは「ただそこにある」系の棒なのだった。強力な棒を好き勝手にぶん回し、破壊の限りを尽くし、愛用の凶器用鉄パイプと心中も辞さない心持ではあったが、それを人にかざしたときに脳裏によぎったビジョン。血に濡れてぬらぬらの鉄パイプ。私の好きな棒はこんな棒ではない。結局、私という人の手によって振り回され他に影響を与えるその棒は、男性の珍棒と変わらないキモい棒なのであった。フロイトは棒状のものを漏れなく男根、男性性の象徴として捉えがちであるが、この時ばかりは合点がいった。はい。キモいです。

 幸いなことに、傷害事件を起こす前に私は鉄パイプを捨てた。繰り返される器物破損事件およびそれから生じる示談金の支払いで親を大いに泣かせたものの、己の過ちに気づいてからはおとなしく鉄棒好き好きキッズに戻った。この頃にはぶら下がる鉄棒は大人用の高さになっていた。公園の鉄棒にぶら下がり、実感する。やはり棒は私なんかに振り回されてはいけない。ただそこにある、頑然とした存在、それが私の好きな棒。過ちに気づいたといっても、当時のこの気付きは己の好きな棒に対する認識を誤っていたことへの気付きに過ぎないので、罪の意識は薄かったと言わざるを得ない。単に子どもだったからだろうか。それとも、天才性を放棄することはできても、狂気性は捨てられなかったということだろうか。

 鉄棒、電車の手すりおよび吊り革、階段の手すり等に安息を覚え、己に鉄パイプを禁じた私だったが、器物破損の前科から、この狂気性をスポーツに昇華するよう家族は勧めた。野球。バットを振り回す日々が始まる。しかし私から言わせれば木製バットも金属バットも鉄パイプと大差なく、全く気乗りしないのだった。バトントワリングに棒高跳びやリレー競技、ドラム演奏にフルート演奏、スポーツから音楽に至るまで、時には母が、父が、兄が、姉が、「良い棒」を探し求めてきては私に勧めたが、どれも私の眼鏡には適わなかった。残念ながらもうこの頃には与えられたガラガラやラトルに喜ぶ幼児性はなかった。好きなものこそ自力で見つけたい、見つけなければいけないんじゃないだろうか? そんな風に思っていた気がする。

 しかし、ない。棒にぶら下がっているだけで、棒を握っているだけでいい日々はなかった。学生時代の私はなるべく重く冷たい金属製のシャープペンシルやボールペンを集め筆箱に詰めることで勉学のモチベーションを保った。しかし休日には塾の講習会やお勉強会に参加する同級生を尻目に、公園の鉄棒にぶら下がったり好みの手すりを見つけたりする探索に出かけた。友人はそれなりにいたが、己の棒への興味、いや、愛? を語ることはなかった。鉄棒マスターの権威失墜事件や鉄パイプ器物破損事件から、この頃にはこれが世に言う「狂気」に近いものであることをすっかり確信していたためである。

 成人する頃には、毎日飽きもせず四六時中公園の鉄棒にぶら下がる謎のヒトが出来上がっていた。鉄パイプを振り回し器物破損を繰り返した日々の方がもしかしたら人間らしかったかもしれない。棒から教わった、曲がることを知らない鉄の意志は、「何よりも棒が好き」という単純な思考を強化し、勉学や労働や遊び、社交や恋愛、人生を彩る様々な行為から私を遠ざけていた。なぜこんなにも棒が好きなのか? 何度も考え悩んだことはあったが、その悩みを解消するにもやはり「棒」しか役に立たないということが日増しに明確になり先鋭化していくだけで、悩みに対する答えは一向に見つからず、しまいには見つけたいとも思わなくなった。

 世界は棒と私だけになった。



 そんな私も今では立派なドアマン。

 鉄棒にぶら下がる日々の中、偶然公園の前を通りかかった米国人の好紳士が私をスカウトしたのだ。曰く、「あなたの目と同じ目をした男を知っている。仕事のパートナーを失ってひどく悲しんでいるが、あなたに会ったら慰めになるかもしれない。私と一緒にニューヨークに来ないか?」。明らかに海外からのお客様なのにこの上なく流暢な日本語で話しかけられたが、棒に全てを支配され限りなく「無」だった当時の私は不思議に思うこともなく、ただ天命に従う気分でノコノコとついて行ったのだった。

 そしてニューヨーク。豪奢なホテル、の、大きな扉、の、手すり。今日も私の棒への偏愛精神を満たしてくれる。毎日、扉の手すりを握り、お客様を招き入れる。扉は動くが、棒は微動だにしない。巨大な扉に生えるそれは、長い年月、多くのドアマンに握られ引っ張られ、押されてきたおかげで、ツルッツルのピカッピカである。しかしへたれた様子はみじんもなく、これまでの何十年、これからの何十年も誰かに握られるのを冷たく静かにただ待っている。私は宿泊客や常連客の名前や事情も覚え、喜んで皆様の助けになろう。狂気を抱えた私が誰かの役に立てるのならこれは天職と言わざるを得ない。ラッキーでした。

 私の向かいには、私と同じ目をした男が立っている。穏やかだが、その目には確かに狂気が宿っている。我々は良いパートナーである。だが、決して握手はしない。私たちはただの棒好き。ぬくもりはいらない。お互い冷たく静かに存在していればいい。

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