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ツレアイとはいつでも何でも言える仲でいよう。娘のことは一度、むしろ『出来ない子』だと認めなおそう。

以下、2021/1/12にFacebookに投稿したものを転載しました。

実は1月7日の朝に突然酷い嘔吐があり、それが何度も続き、その夜発熱し、かかりつけ医に診てもらうと

【ウィルス性胃腸炎】だった。

翌日娘も発症。
ツレが仕事を休んでくれ看病してくれた。

こんなご時世なのでやはり思う事はいつも同じで、はじめは、まさか、コロナ?と不安だった。副症状として胃腸症状が出ることもあるらしい。

でも医者が診てくれて違うとわかってほんとに安心した〜
でも生まれて初めてのウィルス性胃腸炎、本当に辛い症状だったから、コロナになったらもっと辛いんだろうなと思ったし、同じウィルス性の病気なので家庭内感染の予防ももっと真面目に考えるべきだなと実感もした。

今回のことで改めてしみじみ思ったことは

《やっぱり自分を尊重してくれる人がいちばん》

私のツレも若い頃は私のよさを尊重してくれなくて自分の価値観に寄せようとしてたし、私自身もまだ自分のよさに気付いてなくて勘違いしてたし、女は女らしくみたいな昭和な考え引きずってたから上手く行かなかった。

今はお互い歩み寄れて幸せだなと。

私はツレのことはちゃんと元々から尊重してた。
むしろ昭和の女らしく男をたてる、みたいなやり方してたくらいだった。
…けど、アレは結局はあかんかったと思う。
自分を押し殺しておベッカ使ってたようなものだからな。
とにかく、自分をドンドン閉じ込める結果になったのが特によくなかった。

でも色々あったからそれがわかって、そしてまた色々あったから今がある。

お互い我慢しちゃいかん!
何でも言える仲じゃないと、続かない。
何でも言える仲だから幸せでいられる。

「お互い別の人間で違うから、いつもわかろうと努力する、それが愛だと思う」
って、誰かが言ってた、よくわかる。
それに人は、『変わる』ものだ。
きっといつまでもわからないけど、いつまでもわかろうとするだろう。

それは夫婦の間だけじゃなくて、親子でも、友達でも、何にでも、仲良く平和でいようと思ったら当てはまることなんじゃないかと思う。
なかなかうまくは行かないけれど、それを知ってるのと知らないのとでは大きく違うと思うんだ。

そんなことが先ずひとつわかった。

それから、

《発達障害の娘に期待しすぎないこと》

それはもう充分わかって納得しているつもりだった
でもまだまだ足りなかった。

病気になると誰かが世話してあげないと汚れたものを一人で着替えることも出来ない子。
汚したものの洗濯も、軽い食事の用意も、自分ではどうにも出来ない子。
この子をこれからどうやって独り立ちさせて行くべきなんだろうかと改めて深く考え直すキッカケになった。

『個性的』過ぎる子、なので、フツーだったら絶対喜ぶと思って選んだプレゼントを気に入らなくても、フツーだったら絶対楽しむと思ってせっかく連れて行った場所が気に入らず、嫌ですぐ帰りたがっても、とにかくこうあって欲しいという親の望みが叶わなくても一緒に楽しく過ごそうと設定した時間やお金が台無しになっても、もう、
「そっか〜、じゃあしょうがないネ!」
とサラリと受け流せる、そんな境地に達していた筈だったのだけど…

(去年10月から出来るかなチャレンジで)せっかく構えた一人暮らし用のアパートにも殆ど行かないで家にばっかり入り浸っていても、
「まぁそんなもんだろう、アパートの部屋が嫌いになってないだけよかった、もしどうしても辛かったらやめてもいいんだから。何が本当に苦手で出来ないのかわかっただけで収穫あったよ!」
ってフツーに思える自分だったけれど…

そんな大きなことじゃなくて肝心の毎日の生活の中で諦め切れてない部分がまだあった

毎日毎日、細かいことで、
「どうしてこんなことが出来ないの!?」
とイラッとすることがたくさんあって、もうすぐ30歳にもなるのにまだ中学生でも出来るようなことがちゃんと出来なかったりして
「そんな事はない、ひかりになら出来るはず(ウチの子なんだから出来るはず!と言う典型的なダメ親思考だよね😂)私のやり方が拙い?」
と漠然と困ったり焦ったりして自分を責めていたし、時々疲れてイライラしてる時に
「また部屋が汚れてる!」
なんてちょっとキレたりしちゃって娘に負の感情を引き起こしてますます自己嫌悪になったりしてたけど、

娘は、出来ないんだよ!!!!!
そうだ、娘は、身の回りのことを自分でキチンとする能力が、ないんだ。。。。。

ということに改めて気付いたのだ

どうだろう、「いつかきっと出来るはず」と期待して待ってあげることと、「出来ない子なのだ」と諦めるのと、どっちが娘のためになると思う?

私は今まで、出来ると信じて待つことがいい母親の態度だと思ってやって来た。
でも、いつまで経っても出来ないんだ。出来ると思って待ち始めてもう何年経っただろう?
…そしてそのことにイライラしていた。
今年もうウチの娘、30だよ?どうするの、まだ、『出来ない』よ…
その間娘のことを
『出来るはずなのにまだ出来ない子』と見なして
『それじゃあダメ。まだダメ!』と心の中で判定してたんだ。
それが時々隙を見て表に現れるから、自分も気分悪いし、娘の劣等感もなかなか消えなかったわけだ。

自分の能力以上のことをずーっと要求され続けてて、それが出来ないと『ダメ』『ダメ』って判定され続けてたら劣等感の塊になっちゃうよね。

今の娘の姿の向こう側の、幻の未来の娘ばかり見てたような気がする。

それは良くないわ‼️

むしろこれからはまたもう一度振り出しに戻って
『出来ない子』と一旦諦めて、じゃあどうしようかな、と丁寧に支援して行くように心がけようと思った。
出来ない子と思っていた方が、出来なくて当たり前なんだから出来なくても腹も立たないし、優しく支えてあげようって言う気持ちにもなれる。
もし出来ちゃったらこれほど嬉しいことはない!

そうしたら娘もホッとするはず。
ちゃんと、ここにいる、今の娘の姿を、シッカリ見て行ってあげなきゃ、と思う。今までごめんね。

…そんなことに、気付いた。

最近新しく出た自閉症スペクトラムの本とか読んでなかったから、またそんなのを読んで勉強もしてみようと思う。新しい発見もあるかも。

そして、猫は本当にいつもそばにいて私を和ませてくれる最高のパートナーだ🍀

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