ゴトウユウスケ
エッセイのようなもの
お気に入り10個です。 ほぼ実話なので かなり恥ずかしい内容です。
バス停に置いてある謎の汚い椅子の写真たくさん
8:30 前日連絡がなかった引っ越し業者からメールがくる。『本日の作業は8:30〜9:00の間に行いますのでよろしくお願いします。』 しかし私は引っ越し先にいたので すぐ行くことが出来ず『すいません、今から行くんで9時過ぎちゃいます』 と返信したら 「今、伺いましたが不在でした。』と会話になってない回答が帰ってきたので急いで準備して前の部屋へ向かう、 電車に乗りながら 『前日連絡さえしてくれればこんな事にはならなかったし、今日の予定立てやすかったのに』 とイライラする。 かな
ボットン便所の外に置いてある 殺虫剤、扉を少しだけ開けて ノズルを入れて噴射する。 そして、また扉を閉める 30秒くらい待って開けると ほとんどのハエは大人しくなるか 死んでる、 それでもまだ動いてるやつがいるから 僕は更に便器の中に殺虫剤を振りかけ 三たび扉を閉め、また30秒程待つ、 やっと集中して用を足す状態が整った頃には 便意は収まっている。 だから僕は常に便秘状態だ。 だから 夏なんかホント嫌いだし、 汗疹は痒いし、病院で貰った軟骨は べたべたするし、 何より嫌なの
私は感情が出づらい性質だ。 どこかで感情にブレーキをかけている様な所がある。 身体的にもよく肩や首に力が入るし。 もし身体にブレーキランプが付いてたら 5回点滅どころの騒ぎでは無いくらい ビカビカ光りまくって 『え?あいしてるのサインじゃなくてーこの文字数は長編小説?』 って感じになるだろう。 私は原因を探るため、まず身体からのアプローチを試みるためヨガを始めてみた。 ポーズはキツイし、戦士のポーズとか マジケツの筋肉戦争だし、マインドフルネス瞑想なんかも呼吸に
マジやっちまったってかんじです。 思い返しても辛い思い出しかないっす。 飲み過ぎて酔っ払って、気付いたら晩翠通りにあるパチンコ屋の前の 看板を殴打してたんすよ。ヤバいですよね、 したら右手から血が出て まだズキズキと痛いっす。 そのあとバイトでレモンを10個位切ったときもヤバかったっす〜滲みちゃって(悲) まぁ自業自得ですね。 コレは一体どこから来る破壊衝動なのか、 そん時は料理を作る仕事してたし、 看板をベコベコになんてしたくなかったんですよぉ(涙)若さっすかね? 小
なんかのバラエティー番組で青春をテーマにしたトークを しているのをぼんやりと観ていたら バックミュージックで ”盗んだバイクで走りだす”で有名な あの歌が流れていた。 私ら 『青春っぽい歌はいくらでもありそうなのに・・』と疑問に思った。 盗んだバイクで走りだすなんて それは青春かもしれないけど、でもそれってヤンキーの青春じゃない?と思ってしまうのです。 『青春というものは人それぞれで 盗んだバイクで走り出す歌は ヤンキー用の青春ソングだべ!!』と 常日頃思っております。 ただ
平成元年の100円玉を使うと120円分買い物が出来る そんな都市伝説というよりは 町内ホラ話を信じて 小学三年の私と2歳年下の弟は駄菓子屋で 買い物をしていた。 『兄ちゃん、120円分買えなかったね』 『ここでは駄目だったけど小学校近くの 店ならいけるかも知れない』 『本当に?』 『うん、だからお前の100円でも試せ』 『分かった』 しかし弟の平成元年も120円分の買い物はできず 仕方がないので 近所のドーベルマンをからかう用に購入したカルパスを
『逃げろ!外!外!ボール! 出して!』 単語で飛び交う指示なのか、 お願いなのかわからない言葉が 校庭に響いている クラスのみんなで昼休みはドッチボール 教室はほとんどもぬけの殻だ 小学校四年生の私は珍しくアウトにはならず 白線の内側にいた 気付いたら周りがどんどんアウトになっていく 必死に動き回ったが、この日は運が良く 狙われることは少なかった。 私はドッチボール最強のヨシダくん と一騎打ちなった。 しかもボールはこちら側にある 『よーし!』とヨシダくん目掛け 全
中学二年生 楽しかったクラスが終わりを迎えていた。 最後にクラス文集を作る事になり 全員に文集委員からアンケートが配られる 好きな食べ物、音楽、芸能人 様々な項目があり 迷いながら埋めていく 私は好きな芸能人 の欄に目を止めると 『そんなの決まっているだろう!』 と自信満々に【松本人志】 と書いた。 文集委員の小柄な女の子Pちゃんは少し不思議な顔をして 『松本人志?ダウンタウンじゃなくて?』 『そう、松本人志』 『へぇー、斬新!松本人志のみ? なんかカッコいいね!』 笑
小学生の時に作文が書けませんでした。 本当にイヤでした。 なにが1番イヤだったかというと 作文、読書感想文などの 『自分の気持ちを書く』みたいな部分がすごく恥ずかしくて、 しかも書いた作品をみんなの前で発表しないといけないという 子供の頃の私には苦痛で仕方なかったのを覚えています。 まず原稿用紙にテーマを書きます、 そして段落を変え下の方に自分の名前を書く いよいよ本文『僕は、、』と書く、 ここからが地獄なのです。 手が止まるのです、自分の気持ちとか、 感想とか見られたく無い
中学2年くらいから高校入るまでの間 学習塾に通っていた。 きちんとした教室の様な場所ではなく 広い一軒家の客間で教えている様な所だった。 先生は40〜50歳くらいの非常におっとりとしたふくよかな女性だった。 生徒は僕の同級生が4〜5人と 一個上の中学3年生が2〜3人居た。 私は頭が悪かったのでなんとか底辺の高校 だけは避けねばと必死で勉強していた。偏差値が下がるとヤンキー率が高い高校に行かなければならない。それは嫌だった。 塾は基本的に放任主義で 課題が出されると10分くら
高校3年生の夏、剣道部最期の大会。 私はレギュラーになれなかった。 三年生は2人しか居なかった。 副部長の私と部長のオガタくん 彼はガタイの良い優しい男で クラスは1度も一緒になることは無かったが、 廊下などですれ違えば ニコニコ笑顔で挨拶してくるいいやつだった。 三年生が2人しか居ないのに何故出られなかったか、それには理由があって 新一年生で入って来た4人中3人が 私より強かったからである。 彼らは私もビビって使わないツキを 自在に使いこなし、見たこともないフェイントで私を
もう7年も前の頃 30歳の節目を迎える前だったと思う。 誕生日も近くなった9月頃 芸人活動も上手くいかず(今はもっと上手いってないのだが) 意を決してなんとかこれからもやっていこうと思い、一発気合いを入れる為 【3日間お寺で修行体験】というものに申し込んだ 場所は千葉の山奥にあり 内容は境内の落ち葉を掃除したり お寺の中の窓拭きやモップがけ をして、長時間正座でお経を大声で読み、 写経したり 住職さんの有難いお話を聞いたりすると言った内容で 厳しい生活の中で己を鍛え直すといっ
半年程前に参加させて頂いたワークショップでエチュードを観ていた時に 青森弁で好きな相手に手紙を読むシーンに とても感動した。 読んでいた方の 純朴な訛りに真っ直ぐな言葉には グッとくるものがあり 温かみの様なモノを感じた。 監督さんが仰っていた 『ネイティブの言葉の力って凄いんだよ』 が身に染みて分かった瞬間にだった。 そういえば私は気が付いたら 冷たい標準語を喋るようになっていた、 原因は思い当たるところがあってきっと あの時の事なのだろうと思っている。
スナックとかにありそうな椅子 真ん中になにやら突起物が。。
汚い椅子もこれだけ集まると壮観です。 種類も豊富。
花柄がかわいらしい。 とてつもなく女子力の高い汚い椅子。 マリメッコ感