見出し画像

おっさんのパンツがなんだっていいじゃないか!を観て涙するわたし

おはようございます!
朝から何かみようとTverを物色。
「おっさんのおあんつがなんだっていいじじゃないか!」という面白い名前を見つけて、原田泰造の演技もだいすきだしと早速観てみた!

結果…

涙。

ネタバレになるので気になる人は読まないで欲しいんだけど、わたしはこんなお父さん素敵だって思う。
確かに!
そこ気にする??てところを気にして、それいう?人権侵害じゃないの??って思うことを言っちゃったりしてマジで驚きを隠せず、ついつい「それいう?」「なんでそんなことこだわる?」とか突っ込んでいたしw

私は男なら男らしく!女なら女らしく!でバリバリ育った時代で生まれてきて、なんなら、ママの実家は男性陣が奥に座り、何も動かずに食べて飲みしゃべる。女陣は手前に座り、動きまくり、男が食べ終わってから座り始めて喋り始める。その頃には男性陣は寝てたり、どっかに行ったり、帰ったりかなり自由。そして、こどもはというと違う部屋でご飯が用意されていてそこでご飯を食べてあとは自由に。
出されている食べ物も男性陣のほうが豪華なため、わたしは自分でいうのもなんだけど、顔が可愛いかったから優遇されていたところもあったから、こどものご飯を食べてから、男性陣の座るところに言って、高い食べ物を見つけては「あれ食べてもいい?」と積極的に食べ物をGETしに行っていたw
わたしは許されていたんだなw
けど、今考えるとそんなこというの私しかいなかったからな。
だから、くれていたのかもしれないけど。
けど、結構、男性陣はぶっきらぼうで何言っても許される感じがあったからダメだったら普通に断られていたと思うけどね。
けど、もらえなかったことはなかったな。

まあそんな環境で育ってきたから、女だからというのはほんと昔からいわれて来たし、何なら保険の仕事を少ししていた時になんか、「女になんか任せられるか!」とか私のこと知りもしないのに性別だけで言われることもたくさんあったからな。

私と同じか少し上の世代が今のジェンダーフリーを受け入れるのは結構、大変だと思う。
だから、お父さんがゲイ友に謝罪した時、涙が出た。
こういった理解できないことを受け入れるってほんとうに大変で、きっともう一つ上の世代だったら受け入れて謝罪なんてできないとおもうなぁ。
私たち世代だからこそ、少しは柔軟に対応できるんしゃないかと思う。
そのお父さんの素直さと順応しよう、受け入れようという気持ちに涙が出ていた。

そして、このゲイ友のできた感じ!
きっとここまでいくまでには乗り越えることがたくさんあったのかなとか考える「よく頑張ったね!すごいよ君!」と言いたくなるほどだった。
もしかしたら、あまり苦労せずとも今のジェンダーフリーの世界だからこそ、こんな感じになれたのかな?!とも思うけど。
そしたら、よっぽど理解ある人が周りにいる環境で育ったんだって思う。
それだったら、良い時代になってきたなって思った。

最後にこどもに土下座するお父さんをみて。
そこまでなぜできるのか?不思議だった。
なかなかこどもに謝罪するだけでも難しいのに、土下座までするなんて。
よっぽど自分が悪いと感じてくれたからなのか?
仕事の延長線でのパフォーマンスでやっているのか?
そこまでしてこどもと仲良くなりたいのか?
色んな想いが頭を巡ったが、けど、やっぱりどんな理由であれ、こどもにあたまを素直に下げられるお父さんは素敵だなって思った。
いつもぺこぺこしているお父さんなら謝ることが軽いかもだけど、このお父さんはこどもに対して自分の固定観念を押し付けてきていたから。
そのお父さんの謝罪は重く、決してペコペコお父さんの謝罪とは段違いの重みがあると思う。

ただね。

これをこどもが受け入れるかは別だよね。
私はわかるよ!
この重みが。
けど、今まで固定観念を押し付けてきた恨み?気持ち悪さ?ウザさ?はそんな簡単に払拭なんてできない。
きっと時間がかかるだろうなって私は思うんだよね。
わたしはお父さんが大嫌いで亡くなってからも大嫌いでやっとこ40歳すぎてお父さんを許せるかもって思って、今では生きてたら話ししてもいいかなと思うようになったから。
きっとすぐに受け入れてもらえないけど、お父さん!頑張ってほしい!!

こんなお父さんをいいなって行ったゲイ友の気持ちがめっちゃわかる!
わたしもこんなお父さんがほしい!
たぬきに指差し確認しちゃって、確認している理由も可愛いなって愛だなって思った。
そんな不器用なところかわいいなって思うし、こんな素敵なお父さんを家族のみんなにも知ってほしいから、もっともっと家族と話をして欲しいなって思うなぁ〜〜。

お母さんのうざい旦那と思いながらも、恋人の愛とは違うかもだけど、それでも愛があるから、お父さんがこどもに拒否されてショックを受けてるときに、気持ちを汲んで、少しショックを和らげる一言を伝えている。
本当に嫌いだったらその一言さえも伝えないし、愛があるからこそちょっとだけだけどお父さんの気持ちが上がる一言を言ってくれる。
そこも素敵な奥さんだなって素敵だなって思いました。

お父さんもお母さんもなるのははじめてでいろんな課題にぶつかり、それをどうしたらいいのかはだれにも習っているわけではないから、いつだって不安で「本当にそれで良かったのかな?」と思っていると思う。

私も長男はなんでもいうことを聞く良い子だっただけに(これはこれで本当に心配だった)わたしに似て自由な次男で、さらに今の環境を踏まえた新生マキだったもんだから本当に受け入れるのが大変だった。
今も尚、戦っているけどね!
今、喧嘩中!!

昔は親に殴られるのが当たり前だった時代。
わたしも殴られて育ってきた!
別になんでもかんでも殴って教えられてきたわけじゃない。
本当に悪い時だけ殴られてきたわけで、わたしも嘘をついた時とか何度いわれてもやる時とか最初は殴る時もあったけど、次男が小学生になった時から始まった。
あまりにも嘘をつき、習い事に行かない次男!
「いい加減にしろ!行かないならやめろ、行くならちゃんといけ!自分のその時の気持ちで行ったり行かなかったりするのはやめろ!」
と殴ろうとすると
「虐待です!この人が虐待しようとしています!!」と道端で大声で叫ぶw
これだけでも親なら動揺するよね。
けど、私は「虐待ではありません!わたしは真っ当なことを言い続け、何度も何度も教えても尚、嘘をつき、いつか将来周りに迷惑をかけるかもしれない、犯罪者になって大きな罪を犯してしまうかもしれないそんな想いもあり、何度言ってもダメだから痛みでダメだと教えています!」と大声で叫び戦っていました。
その様子を見た年配のご夫婦は笑いながら「お母さんがんばってるのね。頑張って。」と言われたこともあり。
さらに、別のときには…
またやらないといけないことをやらずに怠けていた次男に対して叱ると、それの何十倍ものいきおいでしかもわたしの人格ややっていることを否定しながら傷つけてくる次男にブチギレて殴ろうとすると「あ〜。いいよ!殴ればいいよ!ほら殴りなよ!殴ってしかいうことを聞かせらんないんでしょ。だったら殴ればいいじゃん。ほら。」
と言ってきた。
その時を境に私は殴らなくなった。
確かに殴ってしかいうことを聞かせられないと言われるとわたしはその方法でしかかいけつできないということになる。
私は昔、めっちゃ殴られていてそれが嫌だった!
けど、自分は3度までは我慢、それでもいうこと聞かないなら痛みでこれはいけないことだと教えるしかないと思っていたが、これ以外に本当に方法はないのだろうか?と考え始め、お互いに笑顔になれる方法をと考えて始めた自分もいたから、暴力は笑顔を生まないなとも思ったので殴るのをやめたのでした。
こんな風に考えられるようになったのはほんと自分とそっくりな次男のおかげ!
めっちゃめんどくさい自分の分身が生まれてきてくれたおかげでわたしは今でも進化できている。
だから、きっとお父さんもアップデートして申請お父さんになれるはず。

そんな想いも思い出してきっと涙が出てきたんだろうな。

これからの展開がとても楽しみです!!
おっパン楽しいのでみんな観てみてください。
以上、マキでした!

この記事が参加している募集

テレビドラマ感想文

宜しければサポートをお願いします! 頂いたサポートは子どもたちを育むためにありがたく使わせていただきます。