人生を教えてくれた恩師「西部邁」
Amazon unlimited で西部邁さんの「妻と僕 寓話と化す我らの死」を読んだ。
西部邁さんは保守思想の評論家。
平成30年1月に多摩川で入水自殺された。
享年78歳。
私が西部邁先生を初めて知ったのは討論番組の「朝まで生テレビ」。
25年くらい前になるか。
私が大学1年生の頃だったと思う。
当時の評論家は猫も杓子も左翼・リベラル。
そんな中、保守派の論客だった西部先生は異色であった。
それでもその真っ当さに、すぐに虜になった。
西部先生の思想は私の人生に対する考え方のコペルニクス的転回となった。
それまで自分というものは100%で自分でできていると思っていた。
ところが、西部先生によると自分というものは日本の伝統と文化なくしては存在しえないという。
考えてみれば当たり前のことである。
人間と動物の違いは精神の有無である。
そして、その精神はどこからくるかと言えば「言葉」である。
人は言葉を使って考え、行動する。
決して言葉以外を使って思考することができない。
そしてその言葉は、自分が開発したものではなく、日本の長い歴史の中で「伝統と文化」を内包しながら、無数の人々が後世へ伝えて来たものである。
つまり自分が日本語を使って、考え、行動する以上、日本の歴史から自由にはなれない。
「自分は日本人である」ことを大前提としないと人生の理解が始まらない。
そんな当たり前のことを気づかせてくれたのが西部先生。
心から感謝します。
今回読んだ「妻と僕」は平成20年に書かれたもので、不治の病により闘病中の西部先生の奥さまと西部先生との関係を書きつつ、夫婦と老年における生き方と死に方を論じている。
これまで西部先生の本は20冊以上読んだと思うが、奥さまのことを詳細に書いたものはなく、先生の奥さまが文芸書を愛する読書家であったことを初めて知った。また、先生との馴れ初めからすると相当に豪胆な方だったようだ。
西部先生は愛妻家で知られていた。
本の中では感情的な書き方はされていないが、妻が死ねば、もう書くことは止めるとまで述べている。
それは「自分の思想を書ききったという思いもあるが、妻が唯一の特定できる読者だったからだ」という。
極端にいえば、西部先生は奥さまに向けて本を書いてきたということだ。
二人の絆は相当に深いものであったのだろう。
冒頭に書いたとおり、西部先生は一昨年の1月に入水自殺している。
これは奥さまを亡くされた寂しさからなどではない。
以前から先生は自決することを公言されていた。
50代の頃に書かれた「死生論」でも、人間は体の自由が利かなくなったら自然死するより少し前に死ぬべきだとおっしゃっていた。
そして先生はその自裁死を尊厳死ではなく「簡便死」と名付けていた。
私も回りに迷惑をかけて「病院死」するよりは簡便死を選びたい。
しかし、死とは究極の恐怖の源泉であり、そう簡単に自死の境地には至れない。
さすがの西部先生だって同じだったはずである。
だからこそ、50代の頃から決意し、頭の中で繰り返し繰り返し死について考え続けたのだと思う。
私も、もうすぐ50代。
「簡便死」できるよう、今から死の練習を積んでいきたい。
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