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マクニール『世界史』ノート②自由主義・民主主義に対する中国と日本の反応

マクニールの『世界史』を簡潔にまとめた内容を投稿していくシリーズ。今回は、産業革命が起きてから第二次大戦終結までの期間における、西欧文化のアジアの大国への影響を俯瞰してみる。

時代

1850-1945年:産業革命〜第二次大戦終結まで

中国の反応

西欧が中国に進出した後も清朝は旧体制を変える事なく、徐々に衰退していった。1912年に清朝は滅亡し、中華民国が誕生。しかし、主導権を握る政党が決まらず国内は混乱を極めたという。孫文、そして孫文亡き後は蒋介石が率いる国民党と、毛沢東が率いる共産党の対立が始まった。これは共産党が最終的に勝利を収める1949年まで続くことになる。なお、現在でも中国は共産党が独裁的に主導しており、憲法レベルで独裁を維持することが可能な構造になっているため、クーデターや革命が起きない限りは政党の交代はないだろう。

日本の反応

日本は中国とは正反対に、旧体制を崩すことなく、段階的に軍事強国への道を歩んでいった。外国の技術を熱心に研究・開発し、「外国製品を精密に模倣すること」から始めてたゆまぬ改良への道をひた走る。第一次大戦まで成功するこのスタンスの根底には、一説によれば武士の倫理が関係しているそうだ。「まずは真似から」というスタンスは、もしかすると日本という国家そのものの傾向なのかもしれない。

工業、技術、科学の分野では西欧に引けを取らないようになったものの、その原動力が西欧のように民主主義や自由主義などの思想や議会政治によるものでないところは日本らしい。つまり物質的な部分は西欧の要素を取り入れたが、精神的な部分は武士の倫理を現代にすり替えただけとも言える。思想的な基盤なしになんとなく外面的に大きく変化できてしまうのは、日本の大きな特徴かもしれない。

芸術の分野ではあまり成果はなく、日本的作品と西欧的作品を組み合わせた統合芸術は見られなかったと言われている。

まとめ

中国は近代国家成立後、自由主義・民主主義に傾くことなく共産主義の国となったが、現在では共産党による社会主義は維持しつつも市場経済を導入し、大きな経済的進化をとげた。日本は敗戦後、日本的なメンタリティーを保ちながら、経済や文化など外面的な部分で西欧の模倣を始め、大きな経済的発展を遂げる。

両国ともタイミングの差こそあれ戦後に発展したが、こと日本においてはバブル崩壊以降様々な不況に直面し、コロナの影響も追い打ちをかけ、今後経済的な成長はほぼ見込めなくなったと言えるだろう。国家として推進力のある目標もなく、国民は路頭に迷っている状態ではないだろうか。

より良い生活を約束する「正解」がない現在、私たち一人ひとりは、自分たちで道を切り開いていかなければならない厳しい時代に入ったのかもしれない。

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