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マクニール『世界史』ノート④第一次世界大戦

第一次世界大戦は、西欧の帝国主義国家が「同盟国」側と「連合(協商)国」側の2陣営に分かれて戦った戦争。最初は数か国の戦争だったが、各国の同盟関係を軸に参加するプライヤーが増えていき、結果的に計25か国が参加する国際的な戦争に発展した。

なお「世界大戦」と言われているが、実際はヨーロッパ(西欧)がメインの戦争である。

時代

1914年〜1918年

きっかけ

直接の原因となった事件は、オーストリア=ハンガリー帝国の帝位継承者であるフランツフェルディナントがセルビア人の青年に暗殺されたサラエボ事件。では、なぜオーストリア=ハンガリー帝国の帝位継承者が殺害されたのだろうか?誰にどんな恨みをかっていたのか?理由は次の2点だと考えられている。

・ゲルマン民族とスラヴ民族(ロシア系の移民)の民族的対立
・バルカン半島の支配権をめぐるオーストリアとロシアの国家間の対立

1908年、オーストリアはセルビア人が多く居住するボスニア・ヘルツェゴヴィナ両州を併合するが、これに憤ったセルビア人(=南スラブ人)の一部が結託して暗殺事件、つまりサラエボ事件に発展し、オーストリアがセルビアに宣戦布告したのが大戦のきっかけだといわれている。

そもそもなぜセルビア人がボスニア・ヘルツェゴヴィナにいるのかという疑問は残るが、バルカン半島の複雑な歴史の中で陸続きの近隣の国にも住むようになったのかもしれない。

サラエボ事件の後、オーストリアと同盟関係にあったドイツが参戦(独墺伊の三国同盟)。対するセルビアはロシアが支持し、ロシアと協力関係にあったフランスやイギリスもロシアの支持を通してセルビアを支持したため(英仏露の三国協商)、オーストリアを支持するドイツはセルビアを支持するロシアやフランスやイギリスに対しても宣戦布告した。

時系列にまとめるとこのような感じだろうか。要はオーストリアvs.セルビアの各陣営に同盟関係にある国が次々と参加し、どんどん規模が膨れあがっていったということである。

1. サラエボ事件
2. オーストリアがセルビアに宣戦布告
3. 三国同盟によりドイツもセルビアに宣戦布告
4. ロシアがセルビアを支持
5. 三国協商によりフランスとイギリスがロシアを支持
6. ドイツが英仏露にも宣戦布告

主な参加国

連合国と同盟国の2陣営には、主に以下の国々が参戦した。基本的にはヨーロッパ強国が中心の戦争だといえるだろう。

連合(協商)国:イギリス、フランス、ロシア(イタリア、日本、アメリカ)
同盟国:ドイツ、オーストリア、オスマン帝国(ブルガリア王国)

終結

戦争は長期にわたり泥沼化するが、終結するきっかけになったのは1917年のアメリカの参戦、そしてロシア革命によるロシアの戦線離脱だといわれている。

ロシア革命

ロシア国内で革命が起こり、ロシアが内側から崩壊。なおロシア革命とは、民衆が蜂起してロマノフ朝を打倒した三月革命と、三月革命により発生した二重権力状態を解消しレーニン率いるボリシェヴィキが独裁を実現した十一月革命を含むロシアにおける一連の革命を指す。それによって東部戦線(ドイツ・オーストリア=ハンガリーの東部に形成された戦線)での単独講和の可能性が生まれ、独露間でブレスト=リトフスク条約を締結した。

アメリカ参戦

中立を守っていたアメリカが連合国側についたことで、連合国の戦況が一気に優位となる。アメリカの参戦は、ドイツの無制限潜水艦作戦に対する反発と、英仏への経済的支援を将来的に回収するためだといわれている。アメリカの参戦は、西部戦線(ドイツ・オーストリア=ハンガリーの西部に形成された戦線)におけるドイツの前進を阻んだ。その後ドイツ国内で内乱が起こり、ドイツ革命が勃発。ドイツもまたロシア同様内側から崩壊し、第一次世界大戦は終結を迎えた。

パリ講和会議

1919年、ヴェルサイユ宮殿においてパリ講和会議が開催される。ヴェルサイユ講和条約としてドイツ及び会議参加国が調印し、正式に第一次世界大戦が終結することとなった。かくして終わりを迎えたものの、長期にわたる戦争で敗戦国はおろか戦勝国も疲弊し、アメリカだけが一人勝ちした結果となったようだ。

第一次世界大戦後の世界の変化

第一次大戦と第二次大戦の間、1919-1938年の約20年間は戦争の影響で社会が急速に変化していったと言われている。また戦後の変化という意味で第二次大戦も含めると、2つの大戦を経て「統制経済」のメリットが顕在化したといわれている。人間社会を計画的に操作することが、戦争だけでなく平和を達成する上でも重要だということを人類は知るに至った。

第一次大戦以前、1815-1914年までの100年は、アメリカ独立革命やフランス革命によって欧米が大きな変化を遂げたが、それまで社会や経済はまだ生得的なもの、つまり変えることのできないものだと思われていたそうだ。それが戦争をきっかけにして「変えうるもの」に変化した。この変化はその後の人類に大きな影響を与えることとなる。

まとめ

最初はオーストリアとセルビアの2国間の戦争だったはずが、同盟関係を基に欧州各国が次々と参戦し、最終的には世界大戦にまで発展した第一次世界大戦。欧州の国家や民族の対立関係が複雑に絡み合い、結果として大きな災厄となってしまった一方で、世界に対するアメリカのリードが揺るぎないものになった。

戦争による犠牲もさることながら、戦争によって進歩した分野も多く、人類にとって転機となる出来事であったに違いない。次の第二次世界大戦と合わせ、大きな変化の布石の一つとなったのではないだろうか。

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