「悪魔の情熱」

2022/02/20の日記。


社会人になってから、絶対に叶えると決めていた夢がある。バレンタインに、百貨店のお菓子売り場で、自分のためのきらきらしたチョコレートを買うという夢。

今年それをついに叶えてありあまる充足感に満たされているあいだに、バレンタインから約1週間も過ぎてからようやくチョコレートを食べた感想について書き殴っておこうと思う。誰に理解させる気もなく私が感じたことをありのまま書いただけなので、異論はまったく受けつけないし、共感もしてくれなくていいし、たまたまこの記事に辿り着いた稀有な人間は、他人の脳みそをちょっとだけ覗き見してやったぜ、くらいの気持ちでいてほしい。

今年、自分用には3種類ほどチョコレートを買ったが、今日食べたのはそのうちのひとつ。「失恋ショコラティエ」の舞台となっているTHEOBROMAが販売している、前述の物語の主人公である小動颯太が作るチョコレートを再現した choco la vie ウィンターコレクション。

THEOBROMAのチョコレートはそこがchoco la vieのモデルになっていると知る前から大好きで、洗練されていてほんとうに手のかかった、自分好みかつ理想のショコラだった。水城せとなの漫画が大好きな私が、いつか食べてみたいと夢見ていた choco la vie のチョコレートをついに手にしてしまったので、いささか夢の過剰成就である。しばらく嫌な事しか起きなさそう。

さて、前置きはこのあたりにして、自分以外の世界のことなど何も考えず、原作でどのように評されて語られていたかもいったんすべて頭から追い出して、ただただ戯言を書き連ねていきます。ちなみに今回買ったウィンターコレクションは6種類のチョコレートで構成されていて、食べた順番は同封のリストを上からなぞっている。

そして紅茶は、ポーラ美術館で買った、ヒースとマロウブルーの花びらの入ったクロード・モネのフレーバーティー。せっかくなのでモネの睡蓮カップを出してきました。


●クルミのプラリネ

ちいさな四角形のうえにまるまるとくるみが乗ったプラリネ。チョコレートと一緒にくだけるくるみの軽い食感が、ひとくちめにふさわしく期待感を煽る。口にした瞬間鼻にぬけていくナッツたちの香ばしさ。けれどその香りの豊潤さに対してアーモンドとヘーゼルナッツの主張しすぎない繊細で上品な風味が、チョコレートの果実味を躍らせる。ナッツを使用したプラリネはそのつよい風味に支配されてしまうものも多く普段はなかなか手を伸ばさない代物なのだが、これはいともたやすくそしてすばらしくファンファーレを鳴らし、こちらを流し見するかのように過ぎ去っていった。これから何かすごいものが始まると予見させる、しかしあくまでいまだプレリュードに過ぎず、これからその期待以上のものが押し寄せてくることになるのだと、ときめきを膨らませる。


●リンゴのコンフィとシナモン風味ガナッシュ

こんどは口に運ぼうとしただけで勢いよくシナモンの香りが鼻から抜け体内を満たし、恋に胸が高鳴るようなそぶりで心臓をどきどきとくるしくさせる。さきほどの軽い食感から一転、ミルクチョコレートのコーティングをぱきりと破ったさきに待つなめらかなガナッシュ。くるみの食感に呆けていたつい数刻前とはまったく違う気候の、まったく違う村に旅をしてきたような感覚に陥る。政治も宗教も古い慣習も、その密度もなにもかもが違うような、けれど何かひとつ大切なものをしるべに旅を続けているような。りんごとシナモンの決して互いを殺さぬ柔和な風味には、実に紅茶が合う。コンフィの食感が楽しい。およそ世界の他のなにもかもがいらなくて、この口の中の余韻だけで生きていけるような気すらしてくる。ひとかけらのチョコレートがこうも私を幸せにするとは! 旅がいよいよ始まったのだと、改めてそれを突き付けてくる。


●アールグレイ

思わず声が漏れてしまうほどの華やかさと滑らかな口触りに、また脳内の景色は一変する。石畳と煉瓦、草木と花々のうつくしい街並みと美術館と、絵画と音楽。ロココを徴したふかふかの椅子に白い戸棚。遠く消えていくのがなんとも惜しい、けれどそんな自分をあざ笑うみたいに破滅的でうつくしい速度をもって融けていく、狡く上品なガナッシュ。けれどだからこそ、とけてなくなってしまってもいつまでもその余韻を探してしまう。舌がおぼえる快楽。今度は香りが抜けていくのではなく、つつまれていくような、身体に直接しみわたっていくような感覚がある。静かだけれど確かな意思、旅も中盤に差し掛かる。さらに、チョコレートの名残と紅茶の香りとがまざりあったとき、昂揚は最高潮に達する。まるで理想の自分に手が届いたみたいに虚構で満ちる、おろかなうつくしさ。


●ラムレーズン

まず吸い込むは、じっくりとなにかを秘めたる上品なかおり。そしていざ口にふくむと、誰もがもついたずらな本心のように、弱い稲妻のごとくラム酒の風味があふれ、全身を伝う。ほどとおい世界に住む人々に対し気後れするような、居心地の悪いようでいてそこが自分の居場所にちがいないと錯覚するような、今までとは違う自分になれるようで落ち着かないような、自分がなによりも強くなったような、矛盾したとおくとおくの気持ちが押し寄せる。およそ身分不相応の飛翔と舞踏、紅茶がながれこみすこし現実の、それも雨の気配に意識が立ち戻る。ヨーロッパのくらい曇天をおもわせる、しっとりとした気配。旅も佳境である。もちろんすこしばかり現実に立ち戻ったとて、胸の高まりはまだまだおさまらない。もう迎えはこないのだと、自分の足でここまでやってきたのだと思い知らされる。


●ダブルエスプレッソと栗のガナッシュ

はじめ、ほんのりとマロンの純朴なかおりが漂う。しかしそれがほどけると、途端、濃密なエスプレッソのガナッシュがたちあらわれ、そのほろ苦さ、否、身にしみいる苦さとマロンの純真な甘さがせめぎあって、まるでひとりの人間がせおう人生かのように、この苦さは胸がどうしようもなく、締めつけられるそれだ。旅を続け、非現実に舞い、昂揚しきったこころにぎゅっとおもしをかけられたような濃厚なあじわい。けれどそれは決して後ろ向きな調子ではなく、暗闇のなかようやく、根拠もないまま勇気をふりしぼって外に駆け出していくような軽骨さと、しっとりと抱きしめてしまいたいくるしさが同居して、どうしようもなくこころをかき乱す。そうして最後に残るはミルクチョコレートの甘さ。ぴろぴりと痛みをともなう後悔をやさしく覆い隠して、忘れさせる。目に見えないだれかをとてもいとおしく思う。


●オレンジピールとジンジャー入りのロシェ

これまでチョコレートにひたり、毒のまわりきったこころを目を、はっとさまさせるオレンジピールとジンジャーの食感、かおり。この世で自分より強いものはないのだとふたたび、より確信的なものを伴って、思い出させる。夕暮れみたいなあじがする。なにかをひとり孤独に決意する、世界がかがやいて、さびしくあたたかくどんな自分をも肯定してくれるような夕暮れの。ひとたび紅茶をふくめばもう過去のできごとかのように記憶しか残らず、姿はきれいさっぱりと消えてしまう。繊細なようでいて、いきおいよく強い自分のままほおばってしまえるチョコレートは、この旅をとても前向きに終わらせてくれる。魔法をとく、じつに突然に鮮烈に、けれどやさしくて明るく、魔法がとけていくのがさびしさをうむだけでないと教えてくれる。いままでの旅の記憶はたしかに自分の中で、懐古の対象として蓄積されていき、その事実の重みを確かめさせてくれるようなオレンジとジンジャー、そしてプラリネの深く、まとまった味わい。どこまでも続く石の階段のように、潜水艦の灯りで照らされる深海のように。旅は終わる。


チョコレートを食べ終えてすぐにこのノートを書いているが、まだ浮足立つような昂揚がぬけない。一冊の小説を読み終えたときと、完成されたアルバムを聴き終えたあとと同じ感覚である。アルコールよりも愛よりもつよくまわる悪魔のごとき毒。今後の人生はぜひ、その懺悔と後遺症をかかえて生きていきたい。



おわり

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