嫌い避け
同じ人間でも誰とでも仲良くなれるわけではない
相手のことで自分と相性が悪く、気に入らないと思うことの方が多いかもしれない
それでも同じ場所に集まる仲間同士、上手くやっていかないといけない場面が出てくる
そんなときに苦手だからといった理由で関わらないように努めることは、周りにとってデメリットしか生まないと思う
時々、愚痴を聞くと出てくる人類がいる
「職場で挨拶もしてくれないほど、無視してくる人がいる」なんてこと
個々の能力が必要な仕事であれば、一日中関わらなくても済んでしまう、なんてことはあるだろう
その職場が人と人の連携が大事な仕事であれば、苦手な人と関わらざるを得ない場面も多々でてくる
その状況で、私の生理的に無理だからという自分勝手な理由で目も合わせない、話もしない関係性を作り上げてしまうと、避けたい相手以外に周りの仲間たちにも迷惑がかかるということは理解しておきたい
この現象には名前があり、「嫌い避け」という
逆に相手のことが好きすぎて迷惑を掛けてしまうので避けようとすることを「好き避け」、相手の好意に気づいてしまったけど気持ちに答えられないから避けようとすることを「ごめん避け」という
今回、私がもやもやと思うことは前者の「嫌い避け」について
大人が嫌い避けをすることは幼稚だと感じる
相手のことが嫌い(または好き)でいじめてしまい、それが許されるのは子どもまでだと思う
もちろん、自分にも苦手なタイプはいる
それでも、挨拶はされたら返すし、聞かれたことには答える、聞かなくてはいけないことは発言する、間違っていることをしていたら謝る
ただそれだけの薄っぺらい関係を保って、自分の周りがギスギスしない雰囲気を維持したい
人類みんなと仲良くできるわけではないし、苦手なことが突然に得意になったりするわけではない
そして時には、嫌いなことや苦手なことから逃げ出すことも最終手段として残している
自分の周りには一生を添い遂げるほど相性のいい人もいれば、同じ場所にいるだけで強いストレスになるほど相性のあわない人もいることは頭と心でしっかりと理解しておきたい
私はもう大人なのだから、幼稚なことはできないし、してはならない
分からないなりにも手探りで、大人の世界をうまくすり抜けてやっていくしかない
この社会生活は自分より遥かに人生経験を積んた人が幼稚な考えを持っていたりするので、びっくりしたりする、逆もまた然り
反面教師として、このように気づきを有難く得ることにする
そんな日でした
今の環境ではうまくやっていきたい