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天狗狩(DUCK HUNT)/第二話 新見錦

≪第一話

 しらみの様な男だ。
 土方は新見錦にいみにしきについて常々そう思う。
 いや、芹沢を筆頭に平山、野口、平間らも隊にたかる虱なのだが、新見は特にそう見える。
 他の芹沢の取り巻き同様に神道無念流しんとうむねんりゅう免許皆伝を持つとの事だが、どう見ても腕が立つ様には見えぬ。人を斬れる様にも見えぬ。さりとてその技前を隠している風でもない。むしろひけらかして居る。当然、人を斬ったところを見た事も、聞いた事も無い。抜く、抜かぬ以前にそもそも奴は肝が座って居ないのだ。試衛館しえいかん目録という、神道無念流と比ぶべくも無い田舎剣法の肩書きを持つ土方から見てもそれは確信があった。
 何故この男が芹沢や近藤と同じ局長の位に暫く前まで居る事が出来たのか、何故その立ち位置を芹沢に認められていたのか、試衛館派の者で納得のいく説明を出来るものは皆無である。
 生真面目な永倉に言わせれば「幇間たいこもちの才がひいでて居るのであろう。芹沢は己を立てられる事が何よりも好きだからな。新見とはそういう役所なのだろう」との事だが、土方はそうは思わない。
 芹沢はえて新見に己の立ち居振舞いを真似させようとしている。
 そう見えるのだ。
 芹沢がしているのだから新見もその様にしても良い。
 そういう子供じみた理屈だ。
 さりとて土方にもその様なことわりも利も無き行いを何故芹沢が行うのかまでは皆目分からぬのだった。

△▼△▼△

 ――芹沢暗殺の十日程前。
「私はね、その時の芹沢さんを見て心底惚れ込んだのだよ……」
 新見は酔うと良く我が事の様に芹沢の自慢話をする。
 いや、普段から芹沢の話しかしないのだ。土方は少なくとも新見自身の話を聞いた覚えが無かった。
 その晩、新見は近藤と土方を祇園新地の料亭、山緒に呼び出した。
 無視を決め込む手もあったが、既に近藤と土方には会津公より芹沢を排除せよとの密命が下った後である。
 芹沢の前にまず新見を始末せねばならぬ。その下調べも必要だった為、二人は大人しく新見の誘いに従う事にした。
 山緒の座敷に揚がると芸伎げいこを呼ぶ前から新見は既に出来上がって居て、上機嫌だった。
「水戸天狗党の頃の芹沢さんはね、そりゃあ古の豪傑を彷彿ほうふつとさせる方だったよ。党の規律を乱した者共三人を、こう雁首揃えて座らせてだね……」
 身振り手振りを交え、役を変えながら話す様はさなが噺家はなしかの様だ。土方はそう思いながら眺める。
「其奴らのくびを一刀ですぱっとはねたのだよ。一刀で、三人の頸を!並大抵の者ではこうはいくまいて!なあ、近藤!」
「左様ですな。余程の冴えを以て可能とする技前。流石芹沢先生ですな」
 武骨な風貌ふうぼうながらも近藤は相手を立てる事が上手い。かつての上石原村の宮川勝太にこの様な才が有った事に土方は少し前に気付いた。道場主となり、浪士組の局長とも成れば人は変わるものなのだろう。
「分かるか?いや、分からんよ!本当に凄かったのはその後だからな。無論正義を以てそう行動された芹沢さんだが、当然めし捕らえられたよ。そりゃあ堂々としたものだったさ。そしてな、驚くなよ、芹沢さんはな牢獄の中で小指を食い千切り、壁にな“雪霜に、色よく花のさきかけて、散りても後に、匂ふ梅が香”と辞世の和歌を書いたのだよ!剛毅と風雅を併せ持った方なのだよ、あの方はな!私は……私は、それを見て、恐れ……いや、その……豪胆、さ、に……魅かれ……れ」
 酔いが廻ったものか、新見は心此処に在らずか宙を見つめている。
 言葉に詰まった新見に近藤は助け舟を出さんと問うた。
「新見さん、あんたも水戸の出と聞いているが、その……天狗党だったのかね?今更改めて聞くのも何だが」
 近藤は呂律ろれつのおかしくなった新見にただ純粋に疑念を問い掛けたに過ぎなかった。芹沢は自ら天狗党であったと吹聴しているが、取り巻きに一々それを問い質した事は無かったからだ。
「……え?」
「いやね、あんたの芹沢さん語りが余りに凄いんでね、かたわらに……共に牢の中に居たのかと思ったんだがね」
「……牢の、中?いや、俺は……中には……外、から……外?、み、魅……見入って……いた、だけ……?ああああああ、うわああああああっ!?」
「おい、新見さん!大丈夫か?」
 突然正気を失ったかの様に新見が暴れだした為、膳がひっくり返り、徳利からこぼれた酒が畳に拡がる。
 新見の背をさすり耳元で声をかける近藤を冷めた目で見ながら土方は思う。
 ――何なのだこの新見という男は。
 普段威張り散らして居るが、まるで侍のさまではない。一皮剥けばまるで只の中間奴ちゅうげんやっこの様ではないか。
 こ奴は何故此処に来た。何故、京くんだりまで着いて来たのだ。
 普段攘夷、攘夷と言っては居るが上っ面だけで、この男にはじつが全く無い。
 出自が百姓の土方や近藤が言えた義理では無いが、まるで田舎芝居の大根役者が侍を演じて居るかの様だ。
「……私は怖い。自分は何故此処に居る!私は芹沢さんを真似ることで、あの人に喜ばれるのが堪らなく好きなだけだ。だが、だが、私は人を斬ることが怖い。其だけは出来ないんだ。私は侍では無いから!だから嫌われて、いや嫌われてすら居ない。私はきられてしまったんだ、もう用済みなんだ。稚児ちごがあんなに遊んだ土産の玩具をいつしか放り出す様に……だがあの人に見捨てられるのは嫌だ、私は、私は!」
「新見さん!」
 尋常成らざる新見の狼狽振りには流石の近藤も持て余した。
「歳、いや土方さん」
「任せろ」
 土方はやおら立ち上がると刀掛けから新見の脇差しを掴み、慌てふためく新見の前に放った。
「新見さん、あんたが何者なのかは知らねぇが情けだ、せめて壬生浪士組の武士として死なせてやるよ。腹ぁ斬りな」
「な、何故私が」
「一つ、隊費横領のとがだ。いつまでも局長気分で好き勝手遊蕩三昧ゆうとうざんまいやってたつもりだろうが、今のあんたは違う。分かってんだろ。一つ、土佐の奴らと……まあそこは長州でも良いんだが……攘夷派の奴らとつるんでた咎だ」
「知らん!そ、その様な事実は無い!濡れ衣だ!」
「濡れ衣で構わんのさ。もっともらしい理由さえ有ればな」
「……!」
「最後に一つ、芹沢同様、俺達にとってもあんたは用済みなんだ、新見さん」
「そっ、そんな?貴様らこそ……貴様らこそ組を私物化してっ!」
「ああ、そうかもな。だがな、会津中将は芹沢並びにあんたら全員に大層お怒りなんだよ。人斬り、強請ゆすり、狼藉ろうぜき、会津の看板に泥塗っちまったのはあんたらだ。こればかりは取り返しがつかねぇ」
「む、無理だ!わ、私は腹の斬り方など分からぬ、知らぬのだ!」
「ああ、俺も分かんねぇ。武士じゃあ無いからな」
 土方は新見の前に放られていた脇差しを掴み、すかさず抜くと一息にその腹に突き立てた。
「痛てぇだろうが刃には触んねぇ方がいい、指が落ちちまう」
「……ぐっ、ごぁっ……!」
「近藤さん」
「うむ」
 近藤は新見の後ろに立つと虎徹を抜き「ふん」と一声、振り抜いた。
新見の首はどさっと真下に落ちた。
 突っ伏した頸の断面からはまるで彼岸花の様に血飛沫が散り、畳を汚した。
「こりゃ、畳は全部取っ替える事になりそうだ。後の始末は俺の方でやっておくから、近藤さんは芹沢に事の次第をうまく伝えておいてくれ」
「うむ、手間を掛けるな歳……土方さん」
「なぁに、汚れ仕事は俺の領分だ。寧ろそっちの方こそよっぽど手間だぜ。近いうちに斬る相手への言伝てを頼んでるんだからな」
「うむ」

△▼△▼△


 近藤が八木やぎ邸に戻ると、芹沢は丁度庭先で子どもたちと遊んでいた。
 芹沢は商家を揺する為だけに木砲を持ち出したり、無礼と思わば角力りきしでも躊躇ちゅうちょ無く斬り、揚屋あげやで飲む度に暴れる様な男で有る。それこそ息をするようにだ。
 だが同時に八木家の子どもたち相手に遊んでいる姿は近藤も良く見掛ける。

 一体どちらがこの男の本性なのか。

 いや、どちらで有ろうともお上の命と有らば始末せねば成らぬのだ。
 そんな事を考え、近藤が声を掛けあぐねて居ると芹沢の方が察したものか「ぼんら、儂は一寸ちょっと近藤さんと話があるから向こうで遊び」と子どもらを他所へやり近藤の方へ近付いて来た。
「……新見さんが腹を切りました」
「……新見?」
 まるで初めて聞く名前かの様に振る舞う芹沢に近藤はいぶかしんだ。
「ああ、新見錦くんか。局長から降格してからはご無沙汰だな。ようやく人でも斬ったかと思えば腹を切ったのか。何事かやらかしたのかね」
 あれ程常にかたわらにはべらしていた新見への素っ気なさに近藤はいささか面食らったが、おくびにも見せず答えた。
「いえ、隊費横領の咎で問い詰めましたところ、自らの非を認め、腹を切るとの申し出でしたので介錯致しました。武士らしい見事な最期で在ったかと」
「新見君にもまだそんな気概が有ったとは、な。武士らしい、か。そうか。ふうん」
 芹沢は一瞬だけ新見への興味を持ったかにも思えたが、途中からは手元で遊ばせる鉄扇に気が行っていた様に近藤は思えた。

「おや?ため坊たちこんな所で遊んでるのか?」
「沖田さん!」
「沖田のあんちゃん!」
屯所、八木邸の門外から沖田の暢気ようきな声と子供らの喜ぶ声が聞こえて来た。
「あ、芹沢さん、近藤さん」
沖田は庭で話す近藤らに気付くと、まるで子供の様にこちらに向けて手を振った。
「さて、私もそろそろ勤めに戻るとするかな。後の事は近藤君に任せるから、良い様にやってくれたまえ」
「はい」
 一礼した近藤に背を向けると、芹沢はまた子供らと遊ぶ為に戻って行った。今度は沖田も一緒だ。
 近藤は良く分からなくなる。酔って、暴れ、奪い、斬る、京坂に聞こえる浪士組の悪評は云わば芹沢自身の素行にるものなのだ。そして子らと同じ視点で戯れる芹沢。何れも芹沢の一側面なのだろう。
 新見が言った様にそれが古の豪傑然とした雰囲気を思わせるのかも知れない。
 共に戯れる沖田にもそういう一面はある。
 子らと戯れる沖田、道場で門下生に稽古を付け荒ぶる沖田、たのし気に人を斬る時の沖田。
 そういうモノなのかもしれぬ。
 ただ、芹沢の其は正に青天の霹靂へきれきなのだ。
 芹沢の気分、気まぐれに我々は命を掛ける訳にはいかない。
 己の大望を阻ませる訳にはいかない。そして京都守護職よりの密命。
 何を以てしても為さねば成らぬ。

 芹沢鴨を、斬る。


【続く】





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