㉔ 第3章「躍進、躍進 大東映 われらが東映」
第5節「大衆娯楽主義 東映娯楽版京都撮影所編」
「日本映画の父」牧野省三の次男、マキノ満男は、興行会社だった東横映画での映画製作事業立ち上げに奔走し、東映誕生後も映画製作の旗頭として東映カラーを作っていきました。
満映から東横、とマキノとともに東映映画の基礎を築いた坪井与は、「大衆主義」「健全娯楽主義」が東映映画製作の基本方針である、と述べています。
そこで坪井は、「よく映画は、娯楽性と芸術性と商業性を持たねばならぬと、3っの条件が主張されがちであるが、我々は大衆主義の立場から娯楽性の一点のみを主張し、作品の内容もその表現の技術も、娯楽性の立場からのみこれを追求し、開拓せんとしてきたのである。」「大衆の健康な精神と善意にアッピールする作品をつくりたいというのが、われわれの基本的な映画製作の態度である。」と語り、東映映画が子供をはじめとする善意の大衆に向けて、創立から10年にわたり健全な娯楽映画を作ってきたことを誇ります。
1962年3月15日発行 『東映十年史』より
東映娯楽版
1953年公開『ひめゆりの塔』の大ヒットでようやく前途に光が見えてきた映画部門は、1954年1月から新作二本立て配給に取り組み、本編に添える中編を、娯楽を前面に掲げた「東映娯楽版」と命名、京都撮影所では少年少女に向けた連続冒険時代劇を主に、東京撮影所では若者や大人に向けた現代劇を中心に次々と製作していきます。
京都撮影所娯楽版は、第1弾『真田十勇士』(三部作)河野寿一監督・大友柳太朗主演から始まり、第2弾『謎の黄金嶋』(三部作)河野寿一監督・堀雄二主演と続き好評を博しました。
1954年東映京都撮影所娯楽版第1弾『真田十勇士』(三部作)プレスシート
1954年東映京都撮影所娯楽版第2弾『謎の黄金嶋』(三部作)堀雄二主演
東千代之介と中村錦之助
そして、第3弾『雪之丞変化』(三部作)河野寿一監督で東千代之介が主演デビューすると大ヒット、花柳徳太郎、藤間勘十郎、七代目坂東三津五郎に踊りを学び映画界にスカウトされた日本舞踊界のプリンス東千代之介は、長谷川一夫の大ヒット作のリメイクで映画スターの仲間入りします。
1954年『雪之丞変化』(三部作)河野寿一監督・東千代之介主演デビュー作
千代之介人気が高まる中、第4弾としてNHK連続ラジオドラマを映画化した『新諸国物語 笛吹童子』(三部作)萩原遼監督が公開されると、東千代之介に続き、中村錦之助というアイドルスターが誕生します。
三代目中村時蔵の四男中村錦之助は、武智歌舞伎の武智鉄二にも認められ歌舞伎界で将来を嘱望されていましたが、相手役を探していた美空ひばり親子の目に留まり、ひばりの所属する新芸プロ(福島通人代表)に籍を置き、1954年2月公開、新芸プロ製作『ひよどり草紙』内出好吉監督にてひばりの相手役として、歌舞伎界を離れ映画デビューしていました。
錦之助は新東宝『花吹雪御存じ七人男』斎藤寅次郎監督・花菱アチャコ主演に出演の後、マキノ満男から誘われ東映に入り、先にスターになった東千代之介とコンビを組み『笛吹童子』で東映デビューしたのでした。
1954年『笛吹童子』(三部作)萩原遼監督・中村錦之助東映デビュー作
中村錦之助東映デビュー作『新諸国物語 笛吹童子』プレスシート
錦之助は出演しませんでしたが東千代之介が出演した、笛吹童子スピンオフ作品、京撮娯楽版第6弾『霧の小次郎』佐伯清監督・大友柳太郎主演、第8弾『三日月童子』小沢茂弘監督・東千代之介主演もヒットしました。
1954年『霧の小次郎』(三部作)河野寿一監督・大友柳太朗主演
1954年『三日月童子』(三部作)小沢茂弘監督・東千代之介主演
東千代之介は第5弾『里見八犬伝』(五部作)第7弾『蛇姫様』(三部作)河野寿一監督、第9弾『龍虎八天狗』(四部作)丸根賛太郎監督と娯楽版に次々と主演、娯楽版人気を生み出し、着実にスターの地位を確立していきます。
1954年『里見八犬傳』(五部作)河野寿一監督・東千代之介主演
そして二人のスター、東千代之介と中村錦之助が共演した京撮娯楽版第10弾、1955年正月作品『新諸国物語 紅孔雀』(五部作)萩原遼監督は記録的な大ヒットとなり、子供たちや女性の人気を集めた東映娯楽版時代劇の快進撃は続きます。
大ヒット『新諸国物語 紅孔雀』プレスシート
『紅孔雀』の後、中村錦之助は萩原遼監督『源義経』『獅子丸一平』シリーズなど数多くの長編映画に主演し、1956年『異国物語 ヒマラヤの魔王』(三部作)河野寿一監督、『新諸国物語 七つの誓い』(三部作)佐々木康監督の主演をもって娯楽版を卒業、東映を代表する若手人気No.1スターになりました。
1956年『異国物語 ヒマラヤの魔王』(三部作)河野寿一監督
1956年『新諸国物語 七つの誓い』(三部作)佐々木康監督
伏見扇太郎
『紅孔雀』が旋風を巻き起こした1955年、京都撮影所娯楽版から千代之介、錦之助に続く子供のアイドルでありニューヒーローとして伏見扇太郎が登場します。
11才で中村吉右衛門一座に入った伏見扇太郎は、松竹から端役で映画デビュー、すぐに東映にスカウトされ、1955年娯楽版『月笛日笛』(三部作)で主演デビューすると、その年だけで『まぼろし小僧の冒険』(四部作)、『天兵童子』(三部作)、『夕焼け童子』(二部作)に主演、『平凡』の映画スター人気投票でこの年いきなり6位に躍り出て、一躍人気スターに仲間入りしました。
1956年もその勢いは続き、『ほまれの美丈夫』『冒険時代劇 日輪太郎』(二部作)、『南海の若武者物語 風雲黒潮丸』(三部作)、『緑眼童子』(二部作)、『孫悟空』(二部作)と立て続けに主演します。
1955年公開『月笛日笛』(三部作)丸根賛太郎監督
1955年公開『まぼろし小僧の冒険』(四部作)萩原遼監督
1955年公開『天兵童子』(三部作)内出好吉監督
1955年『夕焼け童子』(二部作)小沢茂弘監督
1956年『ほまれの美丈夫』伊賀山正徳監督
1956年『冒険時代劇 日輪太郎』(二部作)松村昌治監督・伏見扇太郎主演
1956年『南海の若武者物語 風雲黒潮丸』(三部作)深田金之助監督
1956年『緑眼童子』(二部作)内出好吉監督
1956年『孫悟空』(二部作)佐伯清監督
伏見扇太郎は、娯楽版1957年『龍虎捕物陣』(二部作)、『忍術御前試合』、1958年『少年三国志』(二部作)などに主演し、高い人気があったこの時、残念なことに結核に罹患し片方の肺を切除する手術を受け入院、しばらく休養を余儀なくされます。
1957年『龍虎捕物陣 一番手柄 百萬両秘面』(二部作)内出好吉監督
1957年『忍術御前試合』沢島忠監督
1958年『少年三国志』(二部作)内出好吉監督
翌年復帰して娯楽版『里見八犬伝』(三部作)内出好吉監督、『富嶽秘帖』(二部作)工藤栄一監督に主演しますが、入院中に他の若手スターが台頭、その後は脇役にまわり、時代劇の衰退とともに、映画界を去りました。
1959年『里見八犬伝』(三部作)内出好吉監督
1959年『富嶽秘帖』(二部作)工藤栄一監督
大川橋蔵
伏見扇太郎が子供のアイドルとして大活躍する中、新人スター発掘を目指すマキノ満男に依頼された新芸プロ福島通人の長年にわたる交渉で、1955年11月末公開長編映画『笛吹若武者』にて大川橋蔵が美空ひばりの相手役として映画デビューします。
1955年公開『笛吹若武者』佐々木康監督・美空ひばり主演
大川橋蔵は、六代目尾上菊五郎(1949年逝去)に認められて夫人の養子になり、1944年には名跡「大川橋蔵」を継ぎ、二代目大川橋蔵として音羽屋の看板を担う歌舞伎界期待の星でしたが、1956年2月の東横ホール公演の後、東映に入社しました。
1956年2月25日公開京都撮影所娯楽版深田金之助監督『若さま侍捕物帖 地獄の皿屋敷』『若さま侍捕物帖 べらんめえ活人剣』で初主演をつとめ、5月24日公開娯楽版萩原遼監督『江戸三国志』(三部作)に主演後、6月21日公開深田金之助監督『若さま侍捕物帖 魔の死美人屋敷』で長編映画に初主演します。
『若さま侍捕物帖』は人気シリーズとなり、多くの女性ファンを獲得、その後、『新吾十番勝負』シリーズなど様々な種類の作品で主役を務め、映画界で大スターの階段を駆け上っていきました。
1956年『若さま侍捕物手帖 地獄の皿屋敷』深田金之助監督
1956年『若さま侍捕物手帖 べらんめえ活人剣』深田金之助監督
1956年公開『江戸三国志』(三部作)萩原遼監督
里見浩太郎
1953年から始まった東映ニューフェイス公募の第三期合格者里見浩太郎は、1957年4月京都撮影所に配属され、5月『上方演芸 底抜け捕物帖』松村昌治監督・ミヤコ蝶々主演に鏡小五郎名義で映画デビューしました。
7月『誉れの陣太鼓』井沢正彦監督・尾上鯉之助主演に富士川一夫名義で出演後、里見浩太郎に改名し、10月『天狗街道』小沢茂弘監督・大友柳太朗主演に助演、そこから数多くの長編や娯楽版に出演して経験を積みます。
そして1958年6月、唄うスターとして『唄祭り三人旅』内出好吉監督で初主演を飾ると、9月娯楽版『神州天馬侠』(二部作)大西秀明監督に主演、11月には美空ひばりの相手役として『ひばり捕物帖 自雷也小判』深田金之助監督に助演、翌12月娯楽版『金獅子紋ゆくところ 黄金蜘蛛 』(二部作)伊賀山正光監督に主演しました。
1958年『神州天馬侠』(二部作)大西秀明監督
1958年『金獅子紋ゆくところ 黄金蜘蛛 』(二部作)伊賀山正光監督
里見浩太郎は様々な中編長編作品に主演するとともに、美空ひばりの相手役、大スター作品の助演役としても次々と人気作に出演し、唄う若手二枚目スターとして大活躍します。
娯楽版では、1960年『南国太平記』(二部作)、翌1961年『怪人まだら頭巾』(二部作)、『新黄金孔雀城 七人の騎士』(三部作)に主演し、京都撮影所娯楽版の有終の美を飾りました。
1960年『南国太平記』(二部作)秋元隆夫監督
1961年『怪人まだら頭巾』(二部作)小野登監督
1960年『新黄金孔雀城 七人の騎士』(三部作)山下耕作監督
里見浩太郎はその後も東映時代劇映画の若き主役として出演を重ね、東映が時代劇映画から撤退するとテレビ時代劇へと転身、テレビ、舞台を中心に大スターとして今も活躍しています。
日本を代表する俳優、東千代之介、中村錦之助(萬屋錦之介)、大川橋蔵、里見浩太郎。大スターへの道は東映京都撮影所娯楽版、子供向け映画から始まったのです。
東映京都撮影所娯楽版一覧表