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81. 第4章「行け行け東映・積極経営推進」

第14節「特撮キャラクタービジネスの始まり」

 以前、 76.第4章「行け行け東映・積極経営推進」第12節「子供向け特撮ヒーロー作品の発展 前編」③テレビアニメ映画によるキャラクター商品化権ビジネスの始まり、にて、手塚治虫製作テレビアニメ映画『鉄腕アトム』(1963/1/1~1966/12/31)からテレビキャラクター商品化権ビジネスが始まったことを紹介いたしました。
 特撮ヒーロー作品は、キャラクターや乗り物、武器等を実物やミニチュアにて造形し撮影しているため、玩具メーカーが人形や玩具を作るにあたりアニメ作品よりも商品化に適しております。
 今回、まずは戦後のテレビキャラクター玩具の歴史を作った会社をご紹介いたします。

① キャラクター玩具の魁 (株)タカトク

1917年 高木得治郎「高徳商店」創業・1953年「 (株)高徳玩具製作所」設立、後に「(株)タカトク」1984年倒産

 1954年、少年画報社漫画月刊誌『少年画報』8月号から始まった福井英一武内つなよし作『赤胴鈴之助』は子どもたちの人気を集め、1957年1月ラジオ東京にてラジオドラマ化され、5月21日大映映画公開すると大ヒット、シリーズ化しました。玩具メーカー(株)タカトクは「赤胴鈴之助赤さや刀」を売り出し、多くの子どもたちが購入。ここからタカトクのキャラクター玩具参入が始まります。
 その後、タカトクは、『鉄腕アトム』、『鉄人28号』(1963/10/20~1966/5/25)、『ウルトラマン』、『サンダーバード』(1966/4/10~1968/10/5)などテレビヒットキャラクターの許諾を得て、次々と人気玩具を作っていき、キャラクター玩具メーカーの先駆け最大手となります。

② 日本初プラモデル、ソフビ人形発売 (株)マルサン商会

1947年石田晴康「マルサン商会」創業、1950年株式会社化、1968年倒産

 円谷プロの『ウルトラQ』(1966/1/2~7/3)『ウルトラマン』(1966/7/17~1967/4/9)は武田薬品の一社スポンサーでしたが、『ゴジラ』から円谷の商品化権許諾を得て人形を製作販売していた株式会社マルサン商店はウルトラマンや怪獣のソフトビニール(ソフビ)人形を販売し大ヒットしました。
 マルサン商店は、1953年に発売したキャデラックブリキ玩具がヒットし、その年、日本初のプラスチックモデル(プラモデル)、原子力潜水艦ノーチラス号を販売します。これは米国レベル社のキットをコピーした物で、後年人気が高まるプラモデルもそれまでの玩具が完成品であったため、見慣れない初期は苦戦しました。また、レーシングゲームスロットカー事業への設備投資の失敗により、多額の負債をかかえます。
 怪獣ソフビ人形の大ヒットで経営も少し持ち直しますが、『ウルトラセブン』(1967/10/1~1968/9/8)の終了と共にブームも去り、倒産。事業や金型の一部は元社員が設立したブルマァク(1969年石田幸太郎創業、1977年倒産)に引き継がれました。

③ キャラクタープラモデルの魁 今井科学(株)

1953年今井栄一「今井商店」創業、1959年株式会社化商号変更「今井科学(株)」) 

 1948年今井栄一齋藤茂一フジミ模型教材社(現:フジミ模型)を創業。1953年今井栄一は独立して今井商店を設立、1959年に株式会社化し、今井科学(株)と改名します。
 1960年9月「戦艦榛名」よりプラモデル製造参入、11月には電動歩行『鉄人28号』を発売、キャラクタープラモデルを手がけました。続けて『鉄腕アトム』、『ビッグX』(1964/8/3~1965/9/27)などキャラクタープラモデルを発売。1966年に発売した『サンダーバード』が大ヒットします。その後『キャプテン・スカーレット』(1968/1/2~8/27)、『マイティジャック』(1968/4/6~6/29)などの版権を取得し関連キットを発売しましたが、失敗1969年、会社更生法の適用を受け倒産工場と金型バンダイに売却しました。

④ 現在も続くキャラクター玩具最大手 (株)バンダイ

1950年 山科直治「㈱萬代屋」創業、1961年「バンダイ」商号変更) 

 1950年バンダイ創業者山科直治は義兄が経営する繊維会社「萬代産業」の玩具部門を譲り受け、浅草で(株)萬代屋を創業しました。萬代は中国の兵法書『六韜(りくとう)』の「萬代不易」に由来した名前です。
 創業の1950年に自社オリジナル商品第1号「リズムボール」を発売、ブリキ玩具「B26ナイトプレイン」は大ヒットし、翌年から玩具の輸出販売を手がけました。
 1955年には玩具業界初の品質保証制度を開始、翌年この制度でブリキ玩具「1956年型トヨペットクラウン」を発売し、1961年(株)バンダイへと商号変更します。
 1963年、『鉄腕アトム』の商品化権を得てブリキ製電動歩行人形を製作、キャラクター玩具製造販売に乗り出しました。
 1967年、玩具会社コグレプラモデル金型を購入模型部発足、模型市場にも参入します。そして、1969年、倒産した今井科学から静岡の工場と金型を購入、その工場を主体に、1971年11月本社模型部とは別に新たに子会社バンダイ模型を設立しました。
 それと同時に設立された子会社が、「カチカチクラッカー」など玩具流通以外で販売される商品「雑玩」を主に扱う(株)ポピーです。
 バンダイは、1966年から放送が始まった米国MGM『わんぱくフリッパー』(1966/6/6~1968/9/30)の風呂場で遊ぶ玩具や『サンダーバード』などの玩具が大ヒットし、業界大手に仲間入りましたが、『キャプテン・スカーレット』が大失敗に終わり、今井科学同様バンダイの経営も傾きました。
 当時、テレビキャラクター玩具は番組終了とともにブームが去り、在庫を抱えるリスクが高いと考えられており、バンダイは再度の参入に消極的でした。ポピー設立にあたって東映テレビ部テレビ企画営業部長渡邊亮徳(よしのり)の強い後押しがあったこともあり、キャラクター玩具はバンダイ本体では扱わず、小回りの利く子会社ポピー担当することになります。

 マルサン商会今井科学、キャラクターソフビ人形やプラモデルをはじめに開発した会社が倒産し、『仮面ライダー』が登場するまでの日本のキャラクター玩具業界の最大手は、タカトクで、後発のバンダイの飛躍は子会社ポピーによる「仮面ライダー変身ベルト」から始まりました。

⑤ 光る回る変身ベルトの大ヒット 

 渡邊は、ポピーの設立を後押しすると共に『仮面ライダー』の番組スポンサー契約を結び、キャラクター玩具の商品化を進めます。しかし『仮面ライダー』のブリキのバイク人形や指人形などキャラクター玩具はすでにタカトクから販売されており、変身ベルトもタカトクが500円で発売していました。そこでポピータカトクが作っていないミニソフビ人形シリーズ、空気入りビニール人形を発売することから始めます。

タカトク『仮面ライダー』変身ベルト

 2号ライダーの変身ポーズが大人気となりブームを巻き起こしたことで人形は予想外の売り上げとなりました。そこでポピー常務取締役の杉浦幸昌渡邊に相談し、第2弾の開発商品として番組内の変身ベルトのように光る回るライダーベルトの発売に乗り出します。価格はタカトクベルトの3倍の1500円に決め、1972年2月から発売開始すると、爆発的な売り上げを記録。ポピー大ヒット商品第1号となりました。

ポピー『仮面ライダー』変身ベルト

 高単価商品の大ヒットで東映にも莫大な版権料収入が入り、ここからポピー(バンダイ)東映の長きにわたるパートナー関係が始まります。やがて、東映の特撮、アニメ作品のスポンサーやライセンシーとしてポピーが大きな地位を占めるようになり、東映ポピー、番組制作と玩具製造の両輪で次々と大ヒット商品を開発、お互い会社の業績を拡大していきました。

⑥ カルビー「仮面ライダースナック」大ブーム

 『仮面ライダー』では、「仮面ライダースナック」も社会問題となるほどの大ヒットを生み出します。
 広島のカルビー製菓社長松尾孝は、スポンサーとなる良いテレビ番組を求めて、同郷で旧広島一中の後輩東映常務岡田茂を訪ねました。岡田は渡邊を紹介し、カルビーは『仮面ライダー』のスポンサーとなります。
 番組に合わせて開発した「カルビー 仮面ライダースナック」は子供向けに砂糖を絡めた甘口のスナック菓子で、1971年末から、東京地区にて20円で販売、1袋に1枚「仮面ライダーカード」が付いていました。翌年3月から「カルビースナック 仮面ライダー」として全国発売すると、このカードが爆発的人気を呼びます。多くの子供たちがカードを集めることに熱中し、スナックを箱買いして食べずに捨てることが頻発したことにより、社会問題としてニュースに取り上げられます。
 カルビー製菓はこの大ヒットによって売り上げを大きく伸ばし、1973年には本社を東京に移し、カルビーに商号変更しました。

劇場新作『シン・仮面ライダー』公開記念「カルビー シン・仮面ライダースナック」

 東映は、商品販売と結びついた商品化権ビジネスという新たな収入源を確立したことで、これまで赤字続きだったテレビ特撮番組制作の黒字化が可能となったばかりでなく、大きな利益を生み出し、商品化権ビジネスは東映を支える事業となります。