見出し画像

水海

毎年、夏には山中湖へ水遊びに出かける。

友人たちと共に遊ぶのだが、齢70才代のヒゲじいさんから生まれたばかり子までいて、集まりは絵に描いたような老若男女だ。共に遊び始めたのが50年以上前というから、ただの友人同士の集まりとしては相当息が長く珍しいのだろう。ぼくが参加してからも既に25年を数えるが、新たに連れていく人々は皆、その歴史と遊びのダイナミックさと多様性に驚く。


この多様な他人同士の集まりが、子どもの成長に欠かせない。


当時まだ独身で恋人さえいない初参加のぼくは、誰の子かわからない子どもたちと水遊びでじゃれ合いながら、未来の自分の子にこの経験を与えたいと強く感じたものだ。実際、我が子たちは、この多様な人間関係の中で、遊ぶたびに飛躍的な成長をみせた。今年の集まりはままならなかったが、我が家にとって山中湖は単なる避暑地ではないとても大切な場所だ。


山中湖は富士山の東に位置し、湖面の標高が約980m。避暑地なだけに真夏でも風は涼しく、水は冷たい。思いのほか日差しが強く日の照っているあいだはジリジリと肌を焼く暑さを感じるが、長く水遊びをすると子どもの唇は紫色になってしまう。


「水海は たのしいけれど ぶるぶるぶる」


小学校の授業の課題で、低学年の息子がこの俳句をひねりだしたのは、夏休みがおわり子どもたちの日焼けがまだ冷めきらない季節だった。夏の山中湖での楽しい遊びの様子が、まるで目の前によみがえるようで、家族で感心したものだ。

「これ、ダメなんだって。みずうみは『湖』って書かないと間違いだからって。だから、返されちゃったんだ。」

こりゃあ凄い。イカシタ俳句だねえ。傑作っ、などと大騒ぎしているぼくたちに、笑顔を少しゆがめてポツリと息子が云った。


なんと、まあ、陳腐なことを言うのか。少し山中湖の水にその硬直した脳みそを浸けて溶かした方がいい。
湖を「水海」と表現しているからこそ、ひんやりとした水の冷たさが伝わり、楽しくてずっと遊んでいたいのにそう出来ない複雑な感情が感じ取れて味わいを生んでいるんじゃないか。


息子の表現の自由さ、おおらかさ、独創性をこんなことで潰してはイケナイ。
ならば、とさっそく額縁に入れ壁に飾って我が家の名作殿堂入り。家族の夕飯後の恒例の二次会で、作品を口々に褒め称えた。息子は照れくさそうだったが、ゆがんだ笑顔は消え抜けたような笑顔に変わった。


現在、息子は無事、他人の重箱の隅をつっつくような指摘を意に介さない、おおらかで自由闊達な表現者に成長し、言いまちがいや失敗で家族を毎日大笑いさせてくれている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?