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アリとキリギリス

アリはマニュアル通り真面目に働いていたが、給料が物価の上昇に追いつくことはなく生活は苦しくなる一方だ。求められる成果の基準は高く、常に対前年比を上回る業績を求められ、行動は一挙手一投足管理され、仕事は辛いものだった。それでも出世すれば給料も上がるはずと信じ、アリは自分のため家族のためにと懸命に働きつづけた。




ある日、朝起きようとしても起きれなくなった。既に、身も心もすり切れ限界を超えていたのだ。上司に報告すると自己研鑽が足らないからだと叱責を受け、そのせいで同僚が迷惑する、と嫌味さえ言われた。出勤できずにいると、数日後解雇通知が届いた。



キリギリスは歌ばかり歌っていて、周囲からバカにされていた。定職に就き必死に働かないなんて昆虫類の風上にもおけない奴だ、と罵られることもしばしばだった。冬がくる前に貯えをするのは自己責任、アリを見習え、とよく云われたものだ。もっと大人になれと諭されもした。でも、キリギリスは歌いつづけた。歌うことが何より好きだったからだ。




やがて冬がやってきて世の中は雪で閉ざされ、職場は休業となり、アリたちは収入が途絶えた。冬が通りすぎるまでは少しばかりの貯えで、爪の先に明かりを灯すようにして暮らさなければいけない。すると、やりたくもない仕事を必死にこなし疲れ果てたアリたちの心に、いつか聴いたキリギリスの歌が流れはじめた。アリたちは、いつの間にか怠け者とバカにしていた筈のキリギリスの歌を求めていたのだった。



キリギリスの歌は甘く切なく熱くアリたちの心を揺さぶる。美しい旋律に心を傾け、楽しいリズムに笑い、気づけば皆で涙を流し肩を組んで歌っていた。アリたちはキリギリスの歌とともに互いを支えてきた誇りと、これからも力強く生きてゆこうとする勇気が体中に湧いてくるのを感じるのだった。




キリギリスは冬の間じゅうアリの会合を廻りつづけ、大好きな歌を休みなく届けつづけた。大好きな自分の歌が、苦しんでいたアリたちを喜ばせているのが嬉しかったからだ。アリたちは少ない稼ぎのなかから歌を求め感動を求め、キリギリスへ代金を払いつづけた。キリギリスに貯えはなかったが、冬のあいだ生活に困ることはなく、アリからの感謝が大きな収入へと形を変えていった。




春は雪融け水となり、せせらぎが川へと注ぎはじめる。アリたちはすっかり元気を取り戻し笑顔がよみがえった。しかし好きでもない仕事で、アリをアリとも思わない上司の下で、心身をすり減らす職場で、また働かなければ本当に生きてはいけないのだろうか。冬のあいだの出来事を通して、アリたちのなかで何かが変わろうとしていた。



好きなことを稼ぎにしている「働かないキリギリス」は、アリたちに歌以上のものを与えていたのだった。

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