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すぎるといいすぎる

美しすぎる美貌

若すぎる老人

美味すぎる料理

素晴らしすぎる景色

仲がよすぎる夫婦

かっこよすぎる生き方

速すぎる仕事

快適すぎる生活

良すぎる頭

熱すぎる心

長すぎる脚

細すぎるくびれ

豪華すぎる家




ああ、もう、すぎるすぎるとうるさすぎる。

それしか表現のしようがないのだろうか。言葉や文字で仕事をする方々がそれでは、それこそ表現が貧しすぎるというものだろう。マスコミやメディア媒体は、少し反応がいいと何回も同じギャグを繰り返すおっさんと同じだ。もっとも、制作しているのがおっさんなのだから仕方のないことなのかもしれないが。




しかし、確かに何かにつけ、「過ぎる」世の中である。過剰である。

ダレが買うのか判りもしない商品をバカバカ生産する。中古住宅が山ほど余っているのに、住宅の無人化が進んでいるのに、建売の新築住宅がバカバカ建つ。新築マンションがバカバカ建つ。うまくいっていない経済の辻褄を合わせるために貨幣をバカバカ印刷する。国債をバカバカ発行する。SNS上には誰も見たくない情報がバカバカ流れる。およそつまらない内容のないTV番組が垂れ流される。不要な商品のCMも垂れ流しだ。




我々の経済社会で止まることは、死を意味するとされる。常に対前年を上回らなければならないとされる。経済は成長し続けるべきというのは、本当なんだろうか。本当にそんな事が必要なんだろうか。

もう、いろいろな事が疲れちゃってると感じる。ぼくたちを取り巻く地球環境は、もう疲れちゃってるのだ。いい加減にしてくれと、山火事をおこし、大雪をおこし、洪水をおこし、ハリケーンや台風を巨大化させ、永久凍土を氷解させているのだ。




過ぎたるは及ばざるがごとし。




少し、立ち止まって考える時期に来ているんじゃないか?人間の人生なんて、もっとシンプルでいいハズだ。

昔の人は、いいことを云いすぎるなと、感じすぎる今日この頃だ。

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