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とっとと逃げろ

いろんな事情があって心ならずも所属してしまった組織やコミュニティ。日本社会のしくみのなかで、はじめから自覚やポリシーをもって希望通りの仕事にあるつけるほうが珍しいと思う。大抵はある程度の妥協をもって働くことの方が多いのではないか。そこで気づくのである。入ってみたら驚くほど同調圧力が強かったり、派閥争いが活発だったり、ノルマがきつかったり、役割の押し付けが日常的だったり、ブラックだったり。




厄介なのは、石の上にも三年とか、苦しさの向こう側にこそ成長があるとか、与えられた場所で花を咲かせろだとか、そういう辛抱こそ美徳みたいな考えが好まれるから、ついつい頑張ってしまうことだ。本当は嫌なのに。本当は無理やり押し付けられた仕事だったりするのに。本当は休んで遊びに行きたかったのに。もちろんそれは、そうしないと生活に困るからでもあるけれど。




でも、やりたくない仕事でモチベーションをあげろだとかやる気をだせとかいうなかで、やっぱりどうしたって、人は心も身体もすり減っていく。そこはだから、ヘコむしかない。うじうじするしかない。すねるしかないのである。どうせだから、み~んな他人のせいにして社会のせいにして徹底的にうじうじしてみたら、きっと何かが見えてくるのではなかろうか。あれ?やっぱりコレってオレのせいじゃないじゃん。なんか、おかしくね?




そうしたら、気がつくチャンスだ。
利潤を産むサイクルに都合よくあてがわれ、いつの間に無理な負荷をかけられている自分に気づくチャンスだ。だって、やりたくないことはやりたくないのだ。そんな環境で自分の意志に反することを甘んじて受けるのは、自らの本当の責任を手放していることと同じである。


日本社会のしくみ


学生のアルバイトやパートなどのブラック化が顕著である。日本企業はもともとブラックな体質をもっていた。だが、終身雇用制だったり年功序列など、日本型と云われた家族的な経営によって雇用される側の身分がそれなりに保証されていたから、長時間労働にも意義を見出せたりしていた側面があった。ところが経済のグローバル化が進むと、家族的な経営の価値は徐々に失われ、企業はひたすらに利潤を最大化するための吸血システムと化し、当然の帰結として社会保障をしなくていいアルバイトやパートを増加させていったのだ。




それでも「責任」やら「やる気」やら「長時間労働」やらの企業文化は、雇う側には都合がいいからそのまま残された。だから、変なところに入っちゃったら、違和感を覚えたら、そんなところに長居は無用だ。そんなところで責任をとる必要はない。そういったところで求められる「責任」とやらは、詭弁である。本来責任とは、自分自身の人生に対してとるべきものだからだ。誰かが勝手につくったミッションやら目標やらに負うべきものではない。




そんなワケで、心当たりがある方はとっとと逃げましょう。次なんか決まってなくていい。とにかくソッコー逃げなくてはイケマセン。相手はブラックなワケですから、それはきっと脅しめいたことを言ってくるに違いアリマセン。でもね、そこはエイっと、勇気を持って逃げる。助けを求める。そうしたら、きっと次の道が拓けてくるでしょう。



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