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30歳になりました。

「もう30歳になったんやなあ」

そう言ったのは母だった。とくに嫌味があったわけではない。ぼくは長男だから、母にとっても初めての子育てだったし、感慨深いのかもしれない。

ぼく自身についていうと、とくに思うことはない。2020年を迎えてから「あぁ、もう30歳か」といろいろ思っていたから。

例のウイルスの影響で3月の末に日本に、そして実家に帰ってきて以来、週末の晴れの日は父と田畑の草刈りへ出向いて手入れをし、雨が降れば本を読んで過ごしている。

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晴耕雨読。学生のモラトリアムの頃にとくに意味もなく憧れた概念を、いま手にしていることになる。刺激を求めるぼくにはそれほど良いものでもないなというのが正直な感想だ。

それに、以前こんなに長く実家に滞在するのは15年ぶりなんだと書いたけれど、それはつまりは実家の長男として、いずれ家督を継ぐ者として、「家のこと」から逃げ続けてきた期間でもあり、なあなあにして先延ばしにしてきたことと向き合わなくてはいけなくもなってきている。

ぼくには従兄弟と妹が計7人いるのだけど、ぼくと1人を除いてみんな結婚してしまった(またはその予定がある)。最近そんなことを聞かされた。

車の免許をとってやっと大人として認められるような保守的な田舎の人間にとって、結婚してようやく自立する、一人前になるというような価値観があるように思う。

特に結婚にこだわりのない都会の価値観に染まったぼくでさえ、その親戚の大半が結婚したという事実には衝撃を受けた。やばい、ぼくも早く結婚しないと…という意味ではなく、もうそんな年ごろなのかと、いっしょにカブトムシを追いかけていた頃の面影が色濃く残っていたぼくはようやく、自分の年齢というものを単なる数字ではなく、子育て世代としてのアラサー、30歳として認識した。

「さきちゃん(従兄弟)は西宮にマンションも買うって言うてたよ」

そんなことは聞きたくないよ、母上。

その基準で評価されるならぼくはただただ惨めでしかない。

30歳、無職、独身。おまけに、ぼくは40歳まで大学の奨学金のローンを払い続けないといけない借金持ちでもある。仕事もなければ、金もないんだから。

そこにいま、長男としての「家のこと」という負担というか義務のようなものがのしかかろうとしている。

墓の管理、親戚づきあい、水利権、借地権、田畑の管理…。

田舎の、特に長男坊というのは、そういうことを何度も何度も事あるごとに口頭で伝えられる。いっしょに作業もする。それが後継ぎというものだから。

「あの棚田の左の方はもともとウチの田やったんやが、便が悪いというのでこの上の田とじいさん(が当主)のときに竹中さんと交換したんじゃ。ま、登記じゃなんじゃやこやっとれへんだろうけどな。覚えといてくれ。」

「山西さんとこの土建屋がもうすぐ会社たたむらしいから、貸しとったあっこの土地返ってくるぞ」

ぼくが実家に缶詰めなのを良いことに、どんどん引継ぎを進めているような気がしないでもない。たしかに、いずれぼくがどんなカタチであれ引継がないといけないことではあるのだけど。

30歳が目前に迫っていると明確に意識した27歳くらいから、常に頭にちらついていることがある。

当時のメモが残っているのでそのまま貼り付けようと思う。

次こそは、来年こそは!と決意してる自分に期待してる自分が8割な中で、自分の器の大きさを正確に認識する時期に来ていると冷静に感じている自分もいる
 つまり、俺は世界を変えるんだ!とか年収何千万もらって、広い家に住んで…みたいな大それたことを考えず、すぐそばにある小さな幸せで満足できるように自分の欲望を小さくする努力をした方がいいじゃないかと。いわゆる自分のアイデンティティの根幹を揺るがすというか、「こんなはずでは…」を受け入れる中年の危機に直面し始めている。

当時60万円くらい払って弁理士講座に通ってて、みごとに失敗した後くらいのメモ。

同じ時期に、「現代の不幸は、なりたい仕事につけないことで、なれる保障もないのにずっと貧乏生活続けて夢を追うことだ」みたいな言説を目にしていた。

右ストレートを左ほほにくらって一発KOくらいの鮮やかさと衝撃が全身をかけめぐった。

まさにぼくじゃないか、平日も土日も基本的に勉強ばかりで、ぼくはずっと売れない若手芸人をしてるようなものじゃないか、才能もないのにいつまでも夢見心地で、できもしないことをやろうとするのは幸せか、たとえば40歳になって夢を諦めたとき、なにか残ってるものはあるのかな。いまなら後戻りできる、軌道修正できる。それに、なにもたかだか仕事ごときで、多少わりの良い給料ごときのために人生を棒に振ることはないじゃないか、と。

結局なんだかんだで、仕事辞めて協力隊に来たわけだけど、活動中も似たようなことを考えていたし、感じていた。

悩みつつも、ここはオールインすべきだ、なんとかなるだろ、最後の挑戦だ、とかなんとか考えて現在にいたるわけだけど、協力隊の活動から一時退避で日本にいる今、幸か不幸か考える時間はたくさんあって、「結局のところ、ぼくは何かできたのか、できそうなのか」とか考えたりしていて、ぼくはここまでの人間じゃないかとか、世界の状況的に、国際協力とか、グローバルなポストとかって競争は激しくなるんだろうし、ましてぼくは男だから、国連組織の職員の男女比を1:1にするなんて方針からしても有利とも言えないし、やりたいことを実現するためには自分のスキル習得も時間がかかりそうだし、それもできるようになるかわからないし…ってけっこう揺れてる。

地元での生活もゆとりがあって良さげではあるし、仕事もなくはない。たぶん年に1回~2回くらいは海外旅行も行けると思う。昔は、反抗期もあって一刻も早く地元を離れたいと思っていたけれど、いま改めて考えると忌避するようなものではない。悪くはないと思う。

そうは言っても、自分の中でやりきった感というか、全力を出した感、出し尽くした感がないから前者のグローバルな仕事を求めていくんだろうと思う。近々、実家もでるだろう。ずいぶんと腰が重くなってしまったように思うから。

けれど、結婚もしたいし、子供もほしいんだよなあと思っている。正直、全部をうまく両立できてるイメージがまったく湧かないんだけど。

もう30歳なんだけど、家庭もなけりゃ車も持ってないし、生活はぜんぜん落ち着いてないし、心は乱れまくってるし、自分の器の大きさを知れと自分にささやきつつ、「いや、オレは成長した。現在進行形で成長してる。伸びしろはまだある」と謎理論で現実路線を一蹴してる自分がいるし、よくわかんない。

気分的には、ここ数年、今日のカバー写真のよう。急な崖をロープに必死にくらいついて登ろうとしてる。はあはあ言いながら必死こいて登ってる。それを楽しんでいたりもする。

もう30歳なんだけど、ぜんぜん余裕はないんだけど。



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