かんなありがとう、みんなありがとう、幕間ダイアログありがとう!!
23歳になったよ!久米です。
todokeru,第四回本公演『幕間ダイアログ』
終演いたしました。
ご来場くださった、ご協力くださった、お心を寄せてくださった皆々様、本当にありがとうございました。
todokeru,に所属して初めての本公演、キャスト・スタッフ陣の人数も、ホールの空間も大きな規模でした。
いただいた役を全うすることに責任を感じつつ、座組ひとりひとりのかけがえのない力を心から思わされた日々でした。
濃密な作品を観たとき、「よくこんなこと思いつくなあ」ってしょっちゅう思うのですが、まさに今回はそれが組み立てられていくのに立ち会ったような感覚で。
目まぐるしい転換回数、着替え、飲食やミュージカル(?)シーンまで……台本を受け取ったときはこんなことになるとは想像していませんでした。
稽古を重ねながら、生まれていく新たなアイデアと日毎刷新される演出……人間のキャパは意外にもそこはかとないんだなあと思ったり、とっくに私のライフはゼロよ!と思ったり。
本当に、誰ひとり欠けても創れない舞台でした。
きっとこのあたりのことはめちゃくちゃ頑張ってくれたアンサンブルメンバーや演出、装置、美術のみなさんが書いてくれると思うので、今回は久米の思いを。
初めて台本を読んだとき、「この作品はファンタジーにしてはならない」と思いました。
というのも、作中に登場する約70本の映画作品の大半を私は知らなかった(たぶん良くて1-2割ぐらいしか観たことなかった)のです。
もちろん絶対的な世代のギャップとか生まれ育った環境とかこれまでの生き方とか、どうあがいたって埋まらないものはあるけれど、この作品の素敵なところを、ひとことで形容しがたい柔らかいところを、そのまま届けたいと思うからこそ、4人(金城・白洲・橙山・大桃)の会話を作家のノスタルジーだと決して思われてはいけないと、そう思いました。
役と自分自身はいつだって違う存在で、到達点など無いものではあるのですが……リアルな感情を伴ってセリフを発するのはやはりすごく難しい作業でした。
とはいえ久米の演じた大桃かんなは他3人と比べると圧倒的に固有名詞を発さない人物ではありましたが!(マッツ・ミケルセンのことずっとミッツって言ってましたからね)でもでもやはり人一倍映画の世界に没入し素直な反応を見せる人物でもありますので、そこは嘘つけません。
上っ面で喋った瞬間、届くものも届かなくなるな、と、ヒリヒリしていました。
冒頭のタランティーノ4本連続上映、シーンにすれば3~4分のくだりですがとっても大事な場面。登場した映画4本、すべて観ました。
「かんなよ、『イングロリアス・バスターズ』観て言及するところそこなんだ笑」とか、「『ジャッキーブラウン』はかんなついていけたんだろうか?どんな表情で観たんだろう」とか、「『デス・プルーフ・イン・グラインドハウス』は作中とおんなじ反応しちゃったなあ」とか……台詞に共感してもしなくてもやはりこの目で観たからこそ立体的になるものってあるのだなあと。
あ、『デス・プルーフ』と『ファーゴ』はメインキャスト4人でお泊り鑑賞会したのです!!そして『スタンドバイミー』もみんなで観ましたよ!(これは自慢)
それからねえ、『レザボア・ドッグス』は劇場のスクリーンで観たゾ!(これも自慢)
はじめは公演のためにこの映画観なきゃ!と思っていたものの、徐々にあれ観たい!これも観たい!台本には特に登場しないけれども観たい!という作品が増えていき、ただただ楽しんで映画を観ていたり……。公演終わったら観よう、という積ん読ならぬ積ん観?積ん鑑?映画が今もいっぱいです。
大桃を演じる上では、この感覚も、経験できてよかったです。
これらが実になって届いていたかは、お客様だけが判断できるところ。
いかがでしたでしょうか。正直なご意見、聞かせてください。
さて、もうひとつ、映画の知識のほかにも苦労したのが何と言っても役作り。
ご来場くださった方はお手元の当日パンフレットに掲載されている座談会でも言及されているのでぜひ読んでいただきたいのですが、橙山京子(演・北村凪)という役はもともと私久米への当て書きだったそうです(上演版の台本は正式キャスティング後書き換えられたバージョンなので初校の印象とはまた全然違うものに仕上がっていますが)。
個人的には、ですよ、橙山と久米は遠からずとも全然違う人間に思えるのですが……!!
しかし、頂いた大桃かんなという役はそれ以上に普段の久米と距離のある人物に思えました。
最初は、大桃のあらゆる言動が自分の引き出しになさすぎて、たいへん苦悩しました。
「大桃はメタ認知を働かせて、4人の中で敢えてこのキャラクターを道化として演じているのでは?実は共同体におけるポジショニングのとても巧い人物なのかも……。だとすると、家賃を滞納していることにも何らかの意図が……?いやさすがにそんな訳はないか。」などと路頭に迷いに迷いつつ、共演者のみなさまや作・演出の大木さんに沢山助けられながら役作りをしてきました。
自分の中にないものがうまく咀嚼できないとき、何より自意識を自覚して本当に情けなく苦しいのですが(久米は自意識というものが本当に本当に本当に苦手です、お弁当食べてね)、徐々に大桃のピュアさや心の躍動、巡り廻る焦燥が高い純度で理解できるようになってきました。
そして自分の中にもあった大桃性(いま造った新語)みたいなものにも気づいたり、結局大桃かんなという人物が大好きになりました。
本番がいちばん、大桃として自然に息が吸えたような気がしています。
大桃ともうお別れ、寂しいなあ。
かんな、これまでありがとう。
そんなこんなで無事幕を下ろした『幕間ダイアログ』。
冒頭にも書いたように、本当に座組誰ひとり欠けても上演できない公演だったと思います。
数ヶ月共に駆け抜けた大好きな仲間たちへ、お力をくださった全てのみなさまへ、そして何よりご観劇くださったお客様へ、改めて感謝申し上げます。
今後のtodokeru,にも、ご期待ください。
久米 春花
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