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【自分史③】中学生~高校生

中学受験が無事に終わり、第2志望の学校に入学することになった。

都内の中高一貫女子校で、自宅からは少し遠いながらも学園祭がとても楽しそうだったので受験することに決めたのだが、30歳を目前にした今、母校に入学することができたのが人生における一番の宝物だと思っている。

その始まりである中学生は、意外にも無難に過ぎ去ったように思う。

日々の生活はとにかく楽しかったし、”箸が転んでもおかしい年頃”だったのは間違いない。振り返ってみると、大きな病気になることもなく怪我をすることもなく、毎日楽しく過ごしていた。

高校に入ると一転、一生付き合うことになる病気が発病し、部活では部長に(半ば強制的に)なり、受験によるストレスで珍行動に出ることになる。それでも毎日最高の仲間に囲まれ、引き続いて”箸が転んでもおかしい”日々を過ごしていたように思う。

私の人生において影響の大きかった出来事をいくつかまとめることにする。


現代社会の授業

通っていた学校では、将来大人になったときに「自分で考える」ことができる人間になるよう教育してくれていたように思う。その一つが現代社会の授業だ。黒人差別、貧困問題、女性の社会進出、夫婦別姓、など様々な課題について取り上げて授業に組み込まれていた。先生から提示される様々な問題を自分の力で考える機会を与えられ、最初のころは自分なりの考えをまとめるのが難しくてつらいこともあった。何か大それたことができるわけでもないし、世界を変えることなんてできないと中学生ながらに分かっていた。それでも「自分で考えて発信する」ということを大事にしてくれたその授業の数々によって、今でも「自分で考える」ということを自然にできるようになったと思う。これを自然にできる大人は意外と少ない。仕事をしている中でそういった場面によく遭遇するし、「自分で考える」ことができることにすごく助けられている。

部活動での自主性

私が所属していた音楽系の部活では、顧問がほとんど活動に関与せず見守るスタイルだった。そのため最高学年になると、年間の予算管理から発表会などの行事スケジュール、はたまた保護者への活動報告会まで生徒である私たがすべて行わなければならなかった。まるで社会人のようだ。もちろん先輩からの引継ぎ期間は十分にあったし歴代の資料も豊富だったが、高校生がすべてをこなすにはかなり苦労した記憶がある。だが、高校生の時期にそういった「疑似社会人」の体験ができたことで、特に誰に教わることもなく社会人の土台が完成していたように思う。部費を予算として、学園祭に出すお店を運営したり、コーチを呼んだり、新しい楽器を買ったり。発表会の予定日から逆算して練習のスケジュールを練ったり。3泊4日の合宿のタイムスケジュールを組んだり、活動報告会の資料を作成したり。部長、副部長、書記、会計といった役割も分かれていたので、「役割で仕事を分担して組織を運営する」ことも学ぶことができた。社会人になった今、そういったすべてのことが仕事に生かせていると感じる。

人生初の大病

高校生の時、足が突然腫れた。しばらく治らず辛かったので、大きい病院に行き検査を受けると、原因不明の病気だった。病名はあるものの、発病については人それぞれ要因があり私の場合には特定ができないようだった。完治することもなく、症状が出るたびに対処療法的に薬を飲むしかない。しかも一番治りやすい方法が「足を高く上げて寝る」こと。毎日電車で通学し、部活動に参加していた私には安静にするなど無理なことだったし、すごくショックだった。それからは、腫れが出るたびに薬を飲み、違和感に耐える日々が今現在まで続いている。大人になり発症する頻度は減ったものの、ある日突然訪れる足の腫れにはすっかり慣れた。だが、症状が出ている間は自由に動けず移動も困難なので、友人との約束を断らなければならなかったり、旅行の予定をキャンセルしたり、いろいろと諦めなければならないことも多い。この病気のおかげで「諦める」ことになれてしまったのだけは、人生で大きな損失だなといつも思う。

大事な仲間

中学から高校までの6年間で得た最も大事なものは「友人」だ。公立の学校に通う場合、中学で3年間、高校で3年間、それぞれに友人ができるがその分期間は3年が限度である。しかし幸いにも6年間ずっと一緒に過ごすことができた同級生は、私にとって「ふるさと」のような感じがするのだ。修学旅行に2回も一緒に行くなんて、なかなかできないと思う。私の周りの友人は、「人それぞれ」ということを真に理解している人が多い。いろいろな考えの人がいることをわかっているので、誰かが何か言うことを端から否定したりしない。もちろん相手に自分の意見を無理やり押し付けることもしない。一見すると冷たいように見えるかもしれないが、相手の考えや主張を尊重する意思がそこにはあるのだ。もし私が人として間違ったことをしたり言ったりする時には、正面から指摘してくれる。喧嘩ではなく議論をしてくれる。そういうことができる友人は一生のうちになかなかできるものではない、と聞くから、そんな友人を持てた私は恵まれていると心から思う。自分が何か間違ったことをしたとしても、それを叱ってくれる存在がいるのはすごく心強いものだ。


中学から高校の間に経験したことは、今でも自分を助けてくれる。大きい出来事はもちろんだが、何でもない日常がとにかく楽しかった。常に笑い転げていた。大学受験の時期には様々な奇行に走るほど、ストレスを抱え、毎日結構しんどかったように思う。それでも乗り切れたのは、周りにいた友人に恵まれたからだ。


大学生になると、その平和な世界は一変する。

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