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ひぐらし引きこもり日記13 謎の文様

赤穂緞通の文様の中で私が一番気になるのは、このどう見ても中国風の緞通の文様。作られたのは化学染料が使用されていることや糸の状態から推定で昭和初期。

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2枚組で入手し、しばらく赤穂御崎の森の家に敷いていました。
ちょっとのあいだ手放さないでおこうと思ったのです。
これと似た文様がシルクロードの要衝の地であった新疆ウイグル自治区ホータンで一時期作られていました。
http://www1.tcn-catv.ne.jp/kksugahara/pettern-new09.html
一般的な鮮やかな色彩のホータン絨毯と違って、漢民族の好きな青を基調とした文様は、日本から見ればシルクロードの様々な絨毯の特徴がまじりあった魅力的なものに見えます。この「ホータン占領記念絨毯」と名付けられた文様からこの赤穂緞通が作られたのではないかと思いました。
問題はこの文様がどうやって日本の片田舎の赤穂に辿り着いたのか?私はホータン絨毯の書籍を書かれた杉山氏にメールでお聞きしたのですが、現物が日本に辿り着いた可能性はあり得ないとのことでした。確かにその時代の中国台湾と日本の関係を考えてみれば無理ですよね。戦後もしばらくは大陸の奥地は入国禁止でしたし、ホータン現地でもこの絨毯はもう残っていないそうです。
でも現実にこの赤穂緞通は存在します。どうやってこの文様に辿り着いたのか?額縁はちょっと独特のイメージ、メダリオンやコーナーもホータンのものと雰囲気は同じながら図面としては違っている。でも偶然の一致にしては似すぎているのです。私は自分も図面を作ることがあるので、ホータン戦勝記念絨毯を元に図面を起こした人がいたのではと思いました。戦勝記念の文字は省いて、大きすぎる花はバランスが悪いから好みの文様に置き換えて、と。
この緞通はとても丁寧に作られていました。織り手の愛情が感じられる逸品。たぶん2枚しか作られなかった実験的な作品。果たして誰が作ったのか、その元になったのはホータンの絨毯なのか?それとも現在新疆ウィグル自治区と呼ばれている地域の別の絨毯がモデルなのか?
この謎はいつか時間ができたら調べてみたいと思いながら、忙しい日常に追われていました。そこへやってきた緊急事態宣言。これはある意味調べ物のチャンスかもしれない。現在追跡調査中。

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最後に今手入れ中の1枚。これも推定で昭和初期の同じころのものです。もしかしたら同じ緞通場で織られたのかもしれない。紺も少し紫がかったスモーキーな灰色も同じ糸っぽいのです。ホータンと名付けた緞通はちょっと柄が濃ゆくて好みじゃない、私ならこんな風ってかんじ。赤穂緞通の文様は本当に色々あって自由自在。
続きは→「シルクロードの東の果て 文様考察

赤穂緞通ひぐらしG wrote #赤穂緞通 #文様 #絨毯

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