やりたいことやったもん勝ち 青春なら(横浜国立大学経営学部で仮面浪人)

やりたいことやったもん勝ち 青春なら

 現役の3月10日。本郷キャンパスの合格掲示板を見に行った時に、吹奏楽部が流していた勇気100%の一節です。僕の受験人生はまさにこのフレーズ通りの受験生活でした。

1.はじめに

 皆様こんにちは。けいちゃんと申します。僕の受験人生は、やりたいことを全てやってきた人生でした。横浜国立大学でサークルをしたり、キャンパスライフを満喫していたのに、気付いたら、東京大学に合格し、こんな元仮面浪人交流会なるものを立ち上げていたという、自分自身でもよく分からない道を辿っているのです。

2.現役〜仮面浪人への決意

 僕が仮面浪人を意識したのは東大不合格の直後。なぜなら、とても大きな疑問が湧いてきていたからです。それは、「もし東大の過去問を10年分解いてたら、どれくらい東大受験で戦えたんだろう」ということ。というのも、僕は過去問をだいたい2年分ずつ(数学だけは25年)しか解いてなかったからです。
 これを聞くと、「東大受験生失格では?」と思う人も多いのではないでしょうか。でも実際、僕は東大受験生失格でした。というよりは、本来、東大受験生ではなかったのです。ずっと、一橋大学を第一志望に設定していて、東大を目指しはじめたのが、センター終わった3日後なのですから。


 中高は、年に東大1人受かるか受からないかくらいの公立中高一貫校で過ごしました。ですが、その中でも30位/150人くらいを上下していた僕にとって、東大という存在は受験の対象外だったのです。一橋大学や早慶を挑戦校として、GMARCHや後期の横国に行ければいいかなという感覚でいました。
 センターは782点。僕にしては上出来な点数でした。そして、センターが終わり、一息ついたのか、YouTubeを見ていました。そして、偶然にも、某東大受験YouTuberのセンター試験自己採点動画を見たのです。その時、その人の自己採点の結果が僕の点数より低いことに気づきます。頭に衝撃が走りました。「僕みたいな人でも東大を受けていいんだ⁉️」となったのです。日本で最高峰の大学を受けれる資格を持っているのに、受けないで受験人生を終えるのは後悔する。受けない後悔より、受けて玉砕した後悔の方が良い。そう考え、東大に出願しました。

 結果はもちろん不合格。センターですら東大合格者水準ではなく、二次対策は付け焼き刃。ほとんど対策できていない僕は当然のように落ちました。やり切った想いと共に、もう少し過去問演習や東大対策・記述対策を行なっていたら、解けた問題もあったなという感覚でした。また、社会2科目というのも負担は大きかったです。
 結局、英語が苦手な僕は、私立一般全落ち、センター利用の明治、後期試験の横浜国立大学のみに合格しました。受験の時に、緑溢れたキャンパスを見て、これこそ大学だなと思い、横浜国立大学経営学部に進学しました。
 そして、普通の大学生活を送りながら、もう一回だけ東大入試を受けることを決意しました。「受かりたい」という意欲よりは、「受けたい」意欲の方が大きかったのが実情です。どうせ仮面浪人なんて受からないだろうなという思いや、勉強し続けることはできないだろうなと思っていたからです。

3.横国での前期

 仮面浪人生活と言っても、前期は普通の大学生だった気がしています。放送研究会に入り、週2〜3で活動を行ったり、バイトも週1〜2程度。さらには、講義も他の学生と同じくらい取っていました。
 放送研究会では前期は結構参加しており、責任のある外部の仕事は引き受けなかったものの、活動には参加する人と扱われていました。ちなみに、僕は東大でも放送研究会に入っているのですが、横国の方が仕事にも遊びにも熱心だった気がしてます笑。

 講義において最も印象に残っているのは、Wake Upプロジェクトという講義です。少人数のため、受講の倍率も高く、やる気のある1年生が集まる講義です。その講義では、企業の方に課題を出していただき、班ごとにその課題を解決していくというもの。実際の企業が抱える問題に対して、1ヶ月以上掛けて話し合い、成果を発表するのです。空きコマは常に話し合い、週に20時間はこの講義に吸い取られました。
 しかし、そこで得た経験というものはとても大きく、東大でもこのような講義があればいいなと思っています(東大生のトップ層は、こんな講義なんかに参加せずとも、勝手に起業してそうですが)。また、この講義では横国の意識高い人が集まっているため、東大・京大落ちの人とも出会うことができました。そして、課題だけじゃ無く、雑談や各々の人生について語り合ったのです。
 彼らは落ちた悔しさを、資格や自分磨きに注ぎ込み、いつか社会に出てから、東大生・京大生を見返してやるという気持ちを持っていました。そして、自分自身を考えると、何にも熱中せず、何も変わろうとしてない自分がいた事に気付きました。ですが、その思いは仮面浪人に向かうというよりは、現在の忙しい生活をやり切ろうとする方向に向かいました。サークルとWake Upプロジェクトに前期は注力したのですが、その経験は今の僕を大きく形作りました。
 このようにそれなりに忙しい生活を送っていた僕は、前期に関してはほとんど勉強はできていませんでした。英語が苦手だったので、高3の夏から続けていた、毎晩寝る前の英語音読を継続した他は、日本史や地理の本を読む程度のものでした。

4.夏休み

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