「死にたい」というおかしな気持ちについて
最近書きたくなるようなニュースもなくサボりがちなのですが、なんか思いついたことがあるので書きます。
それは私によくある(あった)し、あなたにもあるかもしれない「死にたい」という気持ちについて。
あくまで私個人の勝手な意見で、既にどなたかが発表済で被るかもしれませんが、まあ書いてまいります。
なぜ死にたくなるのか
まずなぜ死にたくなるのか、簡単にいえば「苦しいから」「辛いから」「そういう思いをこれ以上したくないから」でしょう。
では、なぜ苦しくなったり辛くなったりするのかというと、
大抵の場合、人間関係の喪失、金やモノや肩書の喪失、健康の喪失等、思い通りにいかないことで生存本能が脅かされるからでしょう。
※「思い通りにいかない」自体が苦の定義だったりするが、それは置いておく。あと「幸せに生きたい」のような欲求もここでは生存本能に含む。
いじめ等で人間関係を喪失して孤立したり、拠り所としていた何かを失ったりすると、または頭でそうなると考えていると、生存本能が脅かされたと感じて苦しい思いや辛い思いをする、これはお分かりではないでしょうか。
「生存本能なんていらないわ(笑う)」なんていう人は、いじめられようがパワハラ受けようが試験に落ちようが破産しようが病になろうがどこ吹く風、平気の平左ですからな。
死にたくないから死にたい
そんな感じで生存本能が脅かされると、人間は防御の姿勢をとったり攻撃の姿勢をとったり逃避したり助けを求めたりと色々やるわけですが、
中には、その苦しみや辛さから逃れるために「死にたい」という思考に囚われて死という手段を選択する人もいます。
ここからは単なる言葉遊びかもしれないのだけど、
生存本能というのは要するに「死にたくない」「(よりよく)生きたい」のことなので、
苦しいし辛いから死にたい
↓
私の生存本能が脅かされているから、そこから逃れる為に死にたい
↓
死にたくないから死にたい
生きたいから死にたい
などという、非常におかしなことになってしまうのであります。
「そういう葛藤の繰り返しがもう嫌なんだよ」という人、私の想像もつかない生存本能を超越した苦しみの中にいる人もいらっしゃるでしょうが、
結局何が言いたいのかというと、今現在「死にたい」と思っている人は、自分の内面、思考、苦しみの原因を観察してみて、上記のような
死にたくないから死にたーい!
生きたいから死にたーい!
なんていうおかしなことになっていないか、それに気付いてみてはいかが、ということであります。
以上、短いけど今回はここまで。
応援、ありがとー