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実践『私は誰か?』

前回の記事で書いた通り、ラマナ・マハルシの『私は誰か?』の実践方法を書いてまいります。

https://www.gururamana.org/Resources/Books/Who-Am-I-Japanese.pdf

PDFだけでなく下記のデヴィッド・ゴッドマンの注釈も考慮して新たに解説を書き直そうと思ったのですが、
そういうのは気が向いたときやればいいし、私ごときが偉そうに書いても意味ないだろうし各自が読んで各自が解釈すればいいでしょうから、今回は実践方法について私の体験や思うところを書いてまいります。

1.「私」は誰か?

皆さんご存知の通り、『私は誰か?』の冊子中においては、「私は誰か?」と自己探求を続けなさいと書かれています。

それに従って「私は誰か?」「私は誰か?」と、思考が浮かんでくる度にやるのですが、正直に返ってくる答えとしては、「私は身体と思考と記憶の堆積物です」とか「よく分かりません」とか「…(無言)」となるのが殆どではないでしょうか。

これは私の経験なのですが、「私は誰か?」と自身に問う際、
「私は誰か?」と、「誰か?」にアクセントが置かれていたから上記のようなマヌケな答えになったのでしょう。

最初に挙げた英語の注釈とか読めば分かるのですが、「私は誰か?」とやる際、本来アクセントを置くべきは「私」の方で、
「この思考は誰に起きたのか?」→「私にだ」→「それでは、は誰か?」と問わなければならなかったのであります。

2.私(エゴ)は、あらゆるものにへばりつく

それでは何で「私」の方にアクセントを置くべきなのか、それは冊子本文や注釈に書かれている通り、

  • マインドの中でいの一番に出てくる思考は「私」であるから。

  • 「私」という思考は、思考や感情や行為、さらにはモノやら人間関係やらあらゆるものにへばりついて、「これこそが自分だ」と勘違いさせるから。これは『ニューアース』にも散々書いてあった通り。

ということで、簡単にいえば、思考やら感情やら行為やら何やらが浮かんでくる度に「は誰か?」と問うことで、思考や感情や行為自体ではなく、それらにくっついている「私」(エゴ)を灘神影流のよくわからん関節技の如くホールドし、それが浮かんできた源に戻せばよいとのことであります。

3.回答は不要

なので、「私は誰か?」に対する回答は不要で、思考や感情や行為といった「対象」から「私」という主体(ただし偽物の主体)に注意が移った時点でOKで、「私は○○です」なんていうマインドの回答は不要なのであります。

で、そういうことを繰り返していると、「私」という思考をそれが浮かんでくる源に追い詰めることができ、追い詰めたらあとはSelf(真我、グル、神etc.呼び方は様々)がいいように処理してくれるとのことであります。

以上を簡単にまとめると、

  • が思う」「が状況に反応する」「が行為する」の「私」は全て偽物の「私」で、ただの思考である。

  • 具体的な例えでいうと、「これがだ」という思い込みは、ヒンディースタイルの結婚式に紛れ込んでいる乞食である。映画『きっとうまくいく』で腹を空かせたランチョー、ラジュー、ファルハーンが結婚式の客を騙ってタダ飯にありつこうとしていたが、事情が分かる者が「お前は誰だ?」と問い詰めれば消えてしまう、招かれざる客のようなものである。

  • なので、「は誰か?」という問いにより、対象である思考、感情、行為etc.に注意を向けるのではなく、それらに当然の如くひっついている偽の主体である「」に対してコブラツイストを極めて、源(冊子でいうところの「ハート」)に引きずり下ろして?やればいい。

  • 私にできることはそこまでで、あとはSelfがやってくれる。

ということであります。

他にも、「自分のやり方が進んでいるかどうか確かめるためには?」とか「じゃあ所謂『覚者』の人はどういう風に思考し行為しているの?」とかいう質問に対する回答も上記には書かれているのですが、

まずは「は誰か?」をしつこく繰り返してください、とのことで、簡単で同じことの繰り返しになったけど今回はここまで。

追記

書き忘れていたことがあるので追記しときます。

こういうことをやって「いい気分になりました」なんていう感想を抜かすような人間は、まさかこれを読んでいる人の中にはいないと思うけど、
「いい気分になりました」「平安を感じました」なんて言っているのは一体誰なのか、それは紛れもなく「私」なので、それについてもきちんと検証しましょう。

要は、これは「良い悪い」なんていう「対象」としての世界を丸ごと吹き飛ばす検証なので、「良いものまで消したくない!」「良いことだらけの世界にしたい!」なんていう人はこんなのすぐに止めてキラキラ☆ハッピー系やインチキ引き寄せで死ぬまで現実逃避し続ければよいでしょう。

まあ、「いい気分になりました」なんてアホな感想は1日も経たずに吹き飛ぶけど。

応援、ありがとー