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結局のところ思考停止で群れるのが楽である『かもめのジョナサン』感想文とか その5

今回は4章の解説。

この4章がなければ、私は本書を「ラリったヒッピーが書いた与太話」で終わらせていただろうけど、
4章が描く「教えが形骸化していく過程」「アンソニーの出現」「ジョナサンの再来」こそが当物語の本質だと思うし、古今東西の宗教、ひいては人間社会全体に共通することだと思っております。


チェーホフの『かもめ』

そんな素晴らしい4章なのですが、いきなり思い出したので脱線しちゃうけど、本書以外でタイトルに「かもめ」がつく有名なものだと、チェーホフの『かもめ』が思い浮かぶのではないでしょうか。

この『かもめ』、実は一度ナナメ読みしたことあるのですが、落ちぶれた女優にフラれた兄ちゃんが「おまんこぉ^~(絶望の挨拶)」とか言いながらハジキで自殺しちゃうというオチで、ちっとも面白くなかったというのが正直な感想。

同じ戯曲でも『サロメ』は面白いのにこの差は何か、オスカーワイルドとチェーホフの才能の差もあるのでしょうが、ロシアの話って登場人物の呼び名がコロコロ変わるから読みにくいことこの上ない。

おまけにどう呼べばいいのか分からないような奇天烈な人名ばかりで頭がこんがらがるのであります。何でロシア周辺の名前ってあんなに覚えにくいの。
もうどの話でも登場人物はイワン、アレクセイ、セルゲイ、ニキータ、マリヤあたりで固定してくれよ…

と、ここまで書いてまたまた思い出したけど、サルマン・ハシミコフとかショータ・チョチョシビリとかビクトル・ザンギエフとか、レッドブル軍団の名前は一発で覚えていたので、興味のあるなしも関係しているのでしょう。

米ソ対決。会場が日本だからこのブックが成立したのだろう。ブックを飲んだレッドブル軍団の方がファイトマネー多そう。

なんかロシア文学をディスるような恰好になっておりますが、次回の感想文で扱う作品は、何を隠そう「ロシア文学」なのであります。乞うご期待。

形骸化と権威化

話を元に戻すと、4章は

ジョナサンの教えを実践するフレッチャーとカモメ達の黄金時代

ジョナサンに関する「神話」の発生

フレッチャーの逝去と「神話」の台頭

教えの形骸化、「神話」&ドグマの権威化

アンソニーの「神話」や権威に対する疑問とぶちかまし、そしてジョナサン再び

という、最後の最後で救いのある流れになっております。

そんな教えを形骸化&権威化させた、悲しくも滑稽なカモメ達ですが、
これは別に本書内に限った話ではなく、冒頭に書いた通り、また新あとがきで五木寛之が言及しているように、古今東西共通のものであります。

五木氏は法然の偶像化について書いていますが、うちの実家は浄土真宗なので親鸞について書くと、師匠である法然と全く同じ流れ、いや法然の浄土宗よりも酷くて、
「正信偈」なんていう親鸞の「寝言」が、ジョナサンやフレッチャーの神話の如く現代においても馬鹿みたいにありがたがられているし、

顕如の時代においては「戦って死ねば極楽行き」とかいってオウムやイスラム過激派もビックリなことやっているじゃありませんか。

その顕如ら一部の人間の私利私欲の為に、石山や長島において門徒達を散々利用し挙句の果てに「捨て駒」にしたことについて反省するどころか、

現代においても「権力に媚びない宗派、それが浄土真宗」なんて北御堂ミュージアムのプロパガンダフィルムで自画自賛しているじゃございませんか!

北御堂ミュージアムの壁。

何が「権力に媚びない」だよお前らこそが「権力そのもの」じゃないか。

これのどこが親鸞の教え、ひいてはゴータマ・シッダールタの教えなのか、何とか言ってみろよこの変態のブタ共が、と叫ばずにはいられません。

『レオン』じゃないけど、これじゃあブタに対して失礼だな。

※よってうちの墓は親の代で終了。欺瞞だらけのクソ坊主に「ゴッドファーザー」になられるのも嫌なので、私自身の戒名は既に自分で名付けている。

こういう性格なので、私はジョナサンよりもフレッチャーやアンソニーにシンパシーを抱かずにはいられず、
「なんでこの本が『かもめのジョナサン』なんだ?『かもめのフレッチャー』か『かもめのアンソニー』にすればすっきりするのに」
と思っております。

結局のところ思考停止が楽

そんな私の魂の叫びは置いといて、本書にせよこの社会にせよ、なぜこんなことになっているのかというと、大まかにいうと

  • 自分で考え自分で向き合い、自分で責任をとるのが怖いから

  • 何の疑問も持たずに思考停止状態で群れるのが楽だから

  • そして、「自分が責任から逃れて思考停止状態で群れている」ということにすら気付いていないから

これらが集団の大多数を占めているから、ということであります。

「一羽の鳥にむかって、自己は自由で、練習にほんのわずかの時間を費やしさえすれば自分の力でそれを実施できるんだということを納得させることが、この世で一番むずかしいなんて。こんなことがどうしてそんなに困難なのだろうか?」

『かもめのジョナサン』3章

なんてジョナサンは言っておりますが、理由は簡単で上記の通り、自分が生まれてこのかた思考停止状態(無意識状態)に陥っていると気付いてすらいないのが大多数だから、であります。

権威や習慣に対して盲目的に従い上っ面だけをなぞる、これほど楽なことはないし、事実そうしているのは、実生活やSNSを見渡せば一目瞭然ではありませんか。

これ以上書くと長ったらしくなるし、本書のようにハッピーエンドで締めたいので今回はここまで。

次回はどうやって締めようか考え中。












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