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癒さないと決めている

 人はトラウマや嫌な記憶を作品にすることでなんとか生きながらえる、こともある。というか、実際のところそうしないと絶対に超えられないようなものって人生において余裕である。この世で起こる嫌なことや辛いことが、全て選択肢次第で回避可能なことだったらどれだけいいだろう。ずっと用心して対策を施していれば立ち向かわずに済むのだったら、どれだけいいだろう。実際に起こり得る「悪いこと」はほとんどの場合、その原因が決してわかりやすいものではなく、様々な事情が絡み合って巻き起こっていたりする。はたまた、どんな風に分析しても答えのない理不尽さえ珍しくはない。ウイルスの脅威だって、誰のせいなのか考えたって最後にはどこにも辿り着けやしないように、私たちには最終的に、起こってしまった「悪いこと」と、自分の中で折り合いをつけることを求められる。無理やり誰かや何かに全責任を押し付けてそれを責めることで苛立ちを発散する人、別の娯楽や快楽に集中することでそもそもの怒りを誤魔化す人、またその原因となるいくつかのことがなるべく小さくなるように社会自体を変革しようと行動する人、そのやり方は生産性のあるものからないものまで、本当に多様である。

だけれどその中で、そのどれもに当てはまらないたった一つの異質なやり方が存在する。それは、負の出来事やそこに巻き起こった感情、そこで見た景色を、作品にするということ。単純なことではなく、本当にそこに残す価値のある芸術として昇華するということ。そうしないと超えられない何か、そして、残せない何かがこの世には存在する。そういう行動のミニチュアとして、私は文章を書くことがあるし、映像を撮ることもある。それは、この世界に存在する傷跡が輝くまでの壮大な出来事のまるで劣化コピーのようなものにすぎないけれど、私も私なりに、作品のようなものにするまでは決して越えられないことがいくつもあった。そして、今もずっと、作品にするまでは決して癒されてはならないと決められた傷跡を、まるで貯金のように大事に持っていたりする。そういう人って、いるんじゃないかと思う。

昨日見た「ヘレディタリー/継承」では、主人公とされる家族の母親がミニチュア作家として作品を作って暮らしていた。作中では様々なショッキングな出来事が起こる度に、ミニチュアにその恐ろしい出来事が再現されるなどして母親の精神の撹乱を示唆している。また、そのミニチュア自体が、何か大きな存在に行先を狂わされていく家族という作品のメタ的視点をうまく表現するアイテムとなっているのだけれど、もっとシンプルに受け取るならば、あれはアリ・アスター監督自身のやっていることにも近いと思う。「ヘレディタリー」では家族という共同体に対するトラウマを。「ミッドサマー」では失恋体験のトラウマを癒すために映画を作ったという監督は、セルフケアとしての作品作りをその身で体現している。自身にあった出来事から受けたインスピレーションを、執念としか言いようがないほど異常に隅々まで神経の行き届いた集中力とクオリティで、映画にする。どんなひどいことがあっても、それが最後にとんでもない映画になるのなら、それはそれでいい、と思ってしまうのは昔からのくせだ。悲しい時や、惨めな時の方が世界が輝いて見えるのも、それがどこか、映画みたいだと思ってしまうからだった。

とはいえ、私は今十分幸せに生きてしまっている。AV女優の仕事を始めた頃は、ベースとしてかなり人生に絶望していて、誰にも期待しないことが普通だという感覚で、自分自身の持つ価値もナチュラルにほとんどないと思っていた。だから、言われればなんでもできたし、辛いとか怖いとかそういう気持ちも本当のところ感じられなかったし、例えどんなに見下された上での「好き」だとしても、その感情の質なんて関係なく嬉しいと思った。自分なんかのことを、嫌いにならないでいてくれる人はみんないい人だと思った。それからたくさんの時間がすぎて、私はだんだんまともになって、自分が幸せになることや、少しだけ楽をすることや、都合の悪いことを見ないフリをすることだって少しはできるようになった。だけれど、それと同時に失われていくこの感じは一体なんなんだろう。どうしても世界の全てが、何一つ私の味方などではなくて、こんなに広い宇宙でたった一人で生きているような気持ちがしていた頃、星はもっと綺麗だった。帰り道の暗闇に浮かぶ街灯も、バスの窓ガラスでワイパーにどかされていく雨つぶも、学校の裏の坂道も、目を凝らすと見える観覧車のシルエットも、もっとかけがえがなかった。誰も味方がいないのならば頭の中に味方を作ればいいのだといって作り出した心象風景は、ずっとさみしくて、小さな湖が一つあって、たまに雪が降っていて、本当は好きだった。すごくよかった。

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