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ふたりだけの宇宙

 誰かと自分の関係は、どこまでも1対1のものだと思っている。私のファンには、100回会いに来てくれた人から、一度ブログにコメントをくれたきりの人まで、さまざまな人がいるけれど、その誰ともの間に、個別の関係がある。私は一人ひとりとのストーリーをちゃんと作り上げたいと願っている。
 私の姿勢を遠くから見ている人から「常連にだけ優しくしてる」とか「あの子、人によって態度違って腹黒いよね」などという批判を受けることもある。実際に現場に来てもらえればわかってもらえるはずなのだけれど、「常連」や「人によって」差別をしているわけではない。私が考える「平等」に基づいて、その人とだけのコミュニケーションを真剣に築いているだけだ。
 つまり誰に対しても均等に同じふるまいをするのではなく、その人と会ったぶんだけ、接した時間のぶんだけ、交わした会話のぶんだけ、それに応じて一人一人個別に思いを通じ合っていくこと、それが私の精一杯誠実な気持ちの返し方だ。

 100回現場に来てくれたからといって、ほとんど相手のことを知らない人もいる。一度だけ手紙を渡しに来てくれたけれど、その文面にその人の人生をめいっぱい詰めてくれた人もいる。回数ではなくて、それぞれのコミュニケーションの深度が、一人ひとりとの親密度ともかかわっている。
 そのあり方は、相手の性格によっても変わる。何度会いに来てもずっと丁寧で距離感を保ってくれることが、とても心地よいなと感じる相手もいるし、回数を重ねるうちに失礼なことを言い合う仲になっているけれど、それがそれで楽しい相手もいる。
 これをはたから見たときに、多く言葉を交換している人を贔屓している、優先しているととらえる人もいるだろうけれど、私の中でどちらかだけが大事なわけではなくひとしく尊重した結果なのであって、それは相手にだけ伝わっていればいい。ちゃんと伝えられるように、努力しているつもりだ。
 とにかく1対1で「超個人主義」にやっていくことが、私なりの愛の表明だ。
 ブログやツイッターに書いている言葉もそうだし、この本も、「たったひとりのあなた」に届くように、いつでも書いている。私は純粋に、個人と個人の間のことしか考えていない。 私とその人という関係の外にあるものを全部抜きにしてあなたと向き合っていたいし、あなたにもそうであってほしい。


 私の発信が他の人にも届いているだろうとか、自分と同じ立場の人はたくさんいるんじゃないか、とかそういうことを一切忘れて、私の言葉にふれてほしい。私とあなたに関係ないことは、私とあなたが向きあっている瞬間においては、なかったことになってほしい。そうずっと思っている。
 嫉妬心を抱かれることもあるし、「どうせ彼氏いるんだろ」なんて言葉を投げかけられることもある。でも、妬みや嫉みのような感情は、抱いたその人にとっても毒素であって、長いあいだ放出し続けると疲れてしまうものだと私は知っている。喧嘩別れした友達を、何年か経って思い出すと、なぜか温かい思い出しかなかったような気がしてくることってあるでしょう。
 毒素はいずれ消えるものだと確信しているから、私は、今この人は正しく愛を受け取れないかもしれないけれど、いつかまた出会えるときが来るだろうと信じて、待つことにしている。ファンの人たちだけじゃなく、友達や、家族に対してもそうだ。
 誰かを愛したときに、「自分の思うようなかたちで愛を返してもらえていない」と思ってしまう人はたくさんいる。愛を持っていても伝わらないとき、そこには愛以外の感情が混ざっている。別の感情が見え隠れする愛は、相手にすっと入っていかない。不純物が混ざらない思いだけが、見返りを求めない愛だけが、相手の血肉になる。逆に言えば、自分の愛をまっさらに綺麗にしておくことが、相手に対してしてあげられる唯一絶対のことだと、私は愛を送る側としても送られる側としても、心に銘じている。

 自分から直接言葉を渡せないような相手——トップアイドルや俳優を応援しているような人は、「そんなの綺麗事でしょ」と言いたくなるかもしれない。ホールに1万人が集まっているなかに自分がいるとき、とても無力に感じるかもしれない。けれどその無力さ、立ちはだかる孤独こそが、私は愛の始まりだと信じている。
 誰かを好きになるということは、孤独を覚悟することだ。そうして、1000人のうちの1人だろうと、1万人のうちの1人だろうと、誰にでも同じファンサービスをしているんじゃないかと、同じ言葉をかけているんじゃないかと不安になろうと、相手と自分の間にだけ通じている交感があるのだと信じ切ることが、愛を達成することだ。
 相手は歌ったり踊ったりという自分の仕事をまっとうして、何かを伝えようとしてくれているんだから、それを確かに受け取ることにだけ集中することが、相手の望んでいることだと思う。そこに世間も他人もない。むしろ、私のように超個人主義に生きて、世間も他人も忘れてしまえばいい。世間なんてものは、自分のなかにしかない。
 瞼のうらでいつでも想像してほしい。何もない、誰もいない宇宙空間を。そこにさみしい星がたったふたつ浮かんでいて、それがあなたと私なのだ。そんな宇宙が一人ひとりとの間にあって、そのなかで愛をやっている。
 目をあけてしまえば、たしかに他人がいて、雑多な街並みがあって、あの宇宙がどこかに在るという証拠だってひとつもない。不安になるようなことばかりだ。そんな世界で澄み切った愛を持っていようと背筋をただしたあなたは、間違いなく相手にとってだって光って見えている。
「君のほうがすごい人で、いろんな人に愛されているから、きっと僕の気持ちなんてわからない」と一方的に諦めてしまうことは、とても寂しいことだ。消費される側はいつだって、あなたに喜んでほしくて、嬉しくなってほしくて生きていて、あなたがそれを喜んだり嬉しんだりすることは、絶対に力になっている。
 そして、そうして見つめてもらえるとき、それは消費ではなくただ「愛される」ということに変わるのだ。
 自分が綺麗だなと思える愛を渡せる自分でいることを、どうか一緒にまっとうしていきたい。そう願っている。

「人を心から愛したことがないのだと気づいてしまっても」より第二章『最後には、二人だけの宇宙でまっさらな愛を』という節でした。

とうとう、発売まで約一週間です。早いところでは20日ごろから店頭に並んでくるかと思います。少しでも気になっている方には、ぜひお読みいただきたいと思っています。また本文からもう1節くらいアップしようと思っていますので、よろしくお願いいたします。よい日曜日を。

ありがとうございます!助かります!