晴耕雨読の暮らしについて
このタイトルは2年前に投稿した記事のうちのひとつに使ったものです。
良い言葉だなと思ったので、タイトルはそのままに記事を作ってみようと思います。
晴耕雨読ってなんとなく夏の言葉のように感じるので、少し季節外れに感じますね。
そもそもの意味は?
「晴耕雨読」
素敵な言葉ですが、ちゃんとした意味を知らなかったので調べてみました。
今までそうだと思っていた意味と少し違いました。
でもますます私の理想とする言葉になりました。
もしくはこんな解釈もあるようです。
ふむふむ。
こちらは中国の三国志に登場する諸葛亮(しょかつりょう)の考え方でもあるようです。
うん、やっぱり良い言葉!
晴耕雨読の暮らしに憧れて
旦那さんとはニュージーランドでのワーホリ時代や、日本国内でもいくつか農家さんで働いてきました。
もしくはオーガニック思考の暮らしをしている農家さんなどに滞在しながら、お手伝いと経験をさせてもらうウーフというシステムも何度か利用しました。
2人とも以前から田舎暮らしに興味があって、「田舎暮らしと畑はセット」というイメージが染み付いていました。
そして実際に農家さんの暮らしを感じることで、ますます出会った農家さんと同じようにしていきたいという気持ちが高まっていきました。
長野での家探しをしていたときも、近くに畑を借りられるかが大きなポイントでした。
最初の2年は近所の市民農園を借りて小さな畑で野菜を作っていました。
今年からは少し大きな畑を借りて、トラクターや耕運機なんかも揃えて少しだけ本格的になりました。
現実は雑草に追い込まれる日々
キラキラした田舎生活に憧れて畑も借りているのですが、実際に始めてみると現実を知りました。
ぐんぐん育つ雑草に気持ちが追い込まれる日々です。
「草むしりが大変」
「雑草がすごいことになる」
「草刈りしなきゃ」
こんなセリフを何度も聞いたことがあるけど、やっと実感しました。
雑草魂とは本当によく言ったもので、素晴らしい生命力です。
雑草を美味しく沢山食べられるようになったら、私たちの悩みの半分くらいは解決してしまうんじゃないかと思います。
夏の間は私も旦那さんも仕事が忙しいので、なかなか畑の雑草のことにまで気持ちがまわらなくて、気がつくと野菜と一緒に雑草畑になっていることばかりです。
暑い時期はいつも頭の中のどこかに畑の雑草のことがあります。
いつも気になっていて、でも全然やれていなくていつも気持ち悪いです。
多分、まだ畑や雑草との上手な付き合い方が分かっていないんですね。
私は田舎生まれ、田舎育ちの生粋の田舎っ子ですが、田舎レベルがまだまだ低いみたいです。
そんなわけでタイトルの「晴耕雨読」に戻るわけですが、雨が降ると堂々と草むしりをしないでいられます。
言い訳も見て見ぬふりもしなくて良い、雨が降ると大きく構えていられます。
言葉の意味と無理矢理につなげすぎですね。汗
理想の暮らしを目指して
この記事をつくりながら、改めて自分の理想の暮らしについて思い出しました。
理想の暮らしの第一歩のために、私がやれるべきことは畑、もしくは雑草との付き合い方をもっと上手になることだと思います。
日々の暮らしの中に、無理なく畑の時間を組み込めるようになりたいです。
晴耕雨読の暮らしってメリハリのある暮らしのことですね、きっと。
畑を借りて、種や苗を買い、自分たちで育てて・・・となると実はコスパはめちゃくちゃ悪い気がします。
どちらかを選ぶなら、畑仕事をしているよりは、家でゴロゴロしてyutubeを観てる方を選んでしまいます。
それに秋が終わると畑をやらなくて良いので、ものすごくホッとするので、なんで畑をやってるんだろうという気持ちになります。
でもなんだかんだで収穫できた野菜はとっても美味しいし、すごく贅沢な気持ちになります。
畑に行くとなぜか気持ちが良いし、田舎者の仲間入りができた気もします。
じいちゃんばあちゃんとも共通の話題がかなりできました。
コスパや損得だけでは割り切れないものが畑にはある気がして、ダラダラながらももう少しやってみようと思っています。
今、私が目指しているのは田舎のじいちゃんばあちゃんの暮らしなのかもしれません。
彼らは自然に晴耕雨読の暮らしをしているように見えます。
田舎レベル最強のじいちゃんばあちゃんを目指して!