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抹殺の丘

 ……ああ、ずいぶん暖かくなったな。

 朝六時、ルーティンと化しているウォーキングに出かける私は、キャラクターモノの半袖Tシャツを装備している。

 ほんの少し素肌丸出しの腕に寒さを感じるが、5分も歩いていれば心地よい涼しさと感じられる事だろう。

 おそらく今日も、小一時間の散策から帰るころには…うっすらと額に汗が浮かぶこと間違い無しなのだ。

 街中には、ずいぶん華やかな色合いがあふれるようになった。

 ガーデニングに勤しむ家庭の玄関先には、かわいらしい花々が咲いている。パンジー、チューリップ、ゼラニウム、ネモフィラ、マーガレット、これはキンギョソウ?あれはラベンダーかな、スイセン…バーベナに…あれは見たことのない花だな、写真とっとこ。

 緑の手を持たない私は、この時期、ご近所さんや善良な市民の皆さんのお宅に100%頼りきって、色鮮やかな宴のおこぼれに預かることにしている。人が育てた花々の誇らしげな姿と言ったら、そりゃあもう見目麗しく!!燻った老年者のテンションをあげて下さる、ミラクルかつビューティフルな、パワフルオーラがあるに違いないと感じさせてくれる天然のエネルギースポットなのだ!

 私の住む町は緑化活動にわりと力を入れているので、市制の恩恵もしっかり堪能させていただいている。市の中途半端な手入れを受けつつ自由に咲く植物の力強さと言ったら、見事あっぱれという感想しか出てこない。多少の歩道や車道にはみ出す活きの良さなど…たまにしか気にならないくらいだ。

 歩道に植えられているつつじは今がまさに見頃で、白、ピンク、ミックスカラー、もさもさとした葉っぱ…公園までの道のりを華やかに演出してくれる、大自然の恵みよ…!!!ああ、生命力の溢れる地球って、素晴らしい―――!!!

 こうして毎朝、私は早朝の大自然の空気を胸いっぱいに吸い込みながら…生きていることをしみじみと感じるのだ。

 気温が上がってくると、ずいぶん外の香りがはじける感じがするのがまたなんとも…四季を感じさせてくれるんだよね。

 新緑の芽吹く呼吸?やけに大自然を感じるようになるというか…、真冬の乾燥した空気では拾うことのできなかった木々の命のオーラを、風がキッチリ掬い上げて届けてくれるみたいなさ。この時期の空気は、大げさに言うならば雄大な地球の大自然の片鱗を感じるから大好きなのだ。

 春の終わりの、この独特の…外の緑緑みどりみどりした空気。

 ちょうど暑くなりはじめたころの、木々の成長が著しい時期になるといつも思い出すのは……、小学校の遠足で歩いた田舎道の事だ。

 お弁当と200円分のおやつを持って、一時間ちょっと歩いて大きな公園に向かい、広場で遊んで帰るだけの、遠足。楽しいんだかつまらないんだかよくわからないけれど、みんなのテンションが高くなる、春の恒例行事である。

 たまに電車に乗って行くこともあったけれど、この時期になると私が思い出すのは…ただひたすらに田舎道を歩いた記憶だ。おそらく、緑の草の香りが、土埃の湿気を吸った匂いが、当時の記憶を何度も思い出させるのだろう。

 ……あれは確か、高学年の遠足だったと思う。

 歩いて一時間の距離にある大きな池のある公園に向かう途中の、ややひらけた道。少し小高い丘が続く、土埃と野草の香りが漂う平和そのものの田舎道。

 当時、山の方にはまだアスファルト舗装のされていない道が所々にあって、天然の生け垣が町のあちこちに繋がっていた。

 そこを、六年生総勢300人が連なって、わいのわいのと移動していた。

「ぎゃー、なにこれ!!」
「きゃあアアアアアア!!!」
「うーわ!!」

 やけに…甲高い声が聞こえるようになって、何事かと思った。私は遠くの方でのんびり草を食む牛を見ながらボケっと歩いていたので、少しばかり騒ぎに…乗り遅れたのだ。

「なんだこいつ!!」
「めちゃめちゃたくさんいるじゃん!!」
「け、毛虫!」

 どうやら先頭を歩く一組45名の、はしゃぐ声と足音と地響きにおどろいた毛虫が、道のほうに飛び出してきたようだった。私は二組の最後尾だった。飛び出してきた毛虫に驚くクラスメイトの声を聞いて、何事かと目を向けると…ジャンプしてよける者あり、気付かず踏む者あり…怖がって車道側に飛び出す者あり…。

「ヤダ!!ヤダヤダ、気持ち悪い!!」
「キャー!!!こっちこないで、イヤッ!!!」
「刺される、怖い!!」

 もこもこ、むくむくとした真っ黒な毛虫が、踏み固められた土の舞台へと、次々と躍り出て…まさに、阿鼻驚嘆たる光景が広がっていた。豊かな毛を波のように蠢かせ、意外にすばしっこく前進する毛虫は…いたいけな女子を震え上がらせるのに充分な力を持っていたのである。

「なんだこいつ!!踏んでやれ!!」
「虫のくせにむかつく!!出てくんな!!」
「誰が一番たくさん殺せるか競争しようぜ!!」

 すばしっこいとはいえ、所詮地を這う虫だ。
 あっという間に、血気盛んな男子達の餌食になった。

 ……哀れな毛虫は、あっという間に殲滅されたのだ。

 あの日、確かに…のどかな田舎道の、平和な丘で、抹殺行為が行われたのである。

 毛虫の丘を越え、公園に到着し、のどかに弁当を食べ、愉快に遊んで帰路についたわけだが、午前中に通ったあの殺戮現場には無残に踏みつぶされた命の跡が広がったままになっていて…、何とも形容しがたい気持ちになったのだった。

 思えば昔は…あちらこちらに、毛虫が出没していたような気がする。

 私の実家は小学校のすぐ横にあったので、登下校の際には必ず桜の木の下を歩くことになるのだが、毎日のように毛虫が落っこちてきていた。

 特に桜の時期はひどかった。桜並木が広がる家の前の道は…つぶれた毛虫だらけになるので、正直敬遠していた。桜の下を通ろうものなら一瞬で毛虫が頭の上、肩、ブラウス、スカート、袖…あちこちに小さな毛虫やイモムシが落ちてくるし、歩けば足の裏に何とも言えない不愉快な感触が与えられてしまうため、場合によっては遠回りをして帰宅するような事もあったぐらい、目を背けていた場所だった。風の強い日は、道の端っこにいても毛虫が飛んできて…相当ひどい目に遭ったのだ。

 おそらくものすごく見栄えのいい桜並木であったはずなのだが、全く記憶に残っていないことから推測するに、よほど景色を目に焼き付ける余裕もないほどあの場所を嫌っていたとみえる。

 桜っていいもんだなあと思うようになったのは…実家を出た後のことだ。

 わりといい大人になるまで、花見に誘われても断るほどに、毛虫を警戒していた。あんな場所で花を見て酒を飲むなど、どんな変わり者なんだと思うくらいに関りを持とうとしなかった。一体いつ頃から花見を楽しむようになったのか…記憶が遠い。いったい何がきっかけだったんだろう?大昔の子供の頃の事はよく思い出せるのに、所々大人になってからの記憶が思い出せなくなっていることに、老いを感じて…いや、私は、凹んでなどいない!!!

 ……ともかく、最近ではほとんど毛虫の姿を見ない。

 そういえば、クマケムシの大量発生もここ数年見かけた試しがない。単品のクマケムシでさえ、最後に見たのは…いつだろう?確か公園でもこもこしてるのを見つけて、拾って息子に見せたらめちゃめちゃ泣かれて大変だった覚えが…うん、わりと黒歴史だな、まあいいや。

 毛虫が躍り出て慌てふためき翻弄された時代もあったのに、今は発生する前に駆除しているということなのだろう。…そうだなあ、今は子供の数も減っているし、抹殺部隊もそうそう出撃する事は難しそうだ。

 おそらく、行政が害虫の面々が発生する前に手を打っているのだろう。発生しても、あっという間に駆除できるような…強力な薬剤が開発された結果なのだ。

 無抵抗な毛虫を嫌悪して、子供たちが踏み潰していた時代は…確かに、あったのだ

 あんなに気楽にプチプチ踏みつぶしていたんだもんなあ、幼いという事は本当に無邪気というか、怖いもの知らずというか……。

 私は、毛虫を踏み潰す事だけは、避けるようにしていた。道端でもぞもぞ動いていようが、肩に落ちてこようが、顔の上にくっつこうが…、毛虫を潰すことはせずに、草の上にのせるようにしていた。知識がなくてたまに毒毛虫に刺されて腫れ上がったりかゆくなったりしてしまった事も何度かあるが、嫌いにならないまま、大人になった。毛虫やイモムシが身近だったからか、存在そのものに対する恐怖感のようなものが無かったのだ。

 ただ……、つぶれた毛虫の姿を見るのが、とにかく不愉快だった。なんとなく…、気軽に踏みつぶしたら、いつプチっと踏まれても文句は言えないのではあるまいか的な事を、感じていた。いつか踏んだ虫が仕返しをしに来るような、恐ろしさが拭えなかったのだ。小心者にもほどがあるとは、私の事を言うのではあるまいか。

 有無を言わさず発生を阻止する今の時代だ…、人というのは実にこう、自分勝手というか、無慈悲というか……いつおかしな薬剤をまかれても文句は言えないのではあるまいか。……ネガティブすぎるな、もう別のこと考えよう。

 そんなことを思いつつ、公園の階段に差し掛かったとき、もこもことした物体を見つけた。

 おお、これは……クマケムシ!!
 こんなところに出てきたら、無邪気な子供に踏み潰されてしまいますよ?!

 ……まあ、早朝の公園には、無邪気に殺戮をするような子供なんか一人もいないけど。

 息子がいたら、叫び声をあげて一目散で逃げ出していたに違いない。

 ……極端に虫を怖がる息子は、今日は部活の早朝練習があるからいないけど。

 クマケムシはものすごい見た目をしているけど、毒がないから触っても大丈夫なんだよね。

 わりとよく見ると愛くるしい見た目をしていると思うのは……私だけかしらん。

 私はそっと毛虫を拾い上げ、公園の生垣に向かって……ぽんと、放り投げたのだった。

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