「希望」と「諦観」
『 #ケセラセラ 』の制作について語る #mrs_greenapple #大森元貴 さんが発した言葉
ケセラセラ=なるようになる は、「希望」と「諦観」だと
林修先生が「諦観」の意味が分からない人のためにと、
「本質をはっきりと見極めた上で諦める」という意味だと解説が入る
無知な私には、初めて聞く言葉
「物事など入念によく見ること、本質をはっきりと見極めること、事態を察る」その上での「諦め」
これだ。と思った
#重度 の #知的障害 のあるコーキを育てていく上で、
私たち夫婦が共有している感覚を、他者と共有するためにあえて言語化しようとすると、
ズレたニュアンスで伝わってしまうことがある
そのズレは、たいていネガティブに。
園での面談時
私:「(障害については十分に認識しているので)1年単位では目に見えた成長は難しいと思っているし、、、諦めというか、、、いや、諦めというと聞こえは悪いのですが、、、」
当時の #加配 の先生:「諦めるのはちがう」と即座に言われてしまった
違う。そうじゃない。
私たちは「諦めてない」
諦めているならば、自分の時間を削って、仕事を抜けて、週3回も療育に行かない
月1回 かかりつけの専門病院で、申し訳程度にレッスンを受ける方法だってあるのだから
最大限の療育を受けなかった「後悔」をしないために、時間と労力を割いているのだ
日々お世話になっているけれど、、、「諦めるな」なんて簡単に言われたくはない。
彼の未来と、娘たちの将来と、、、自分たち夫婦の生活と
我が家は、コーキのことだけにまっしぐらに進むことは出来ない
小さくてもコツコツと、日を追って吸収していく長女・次女と、
ほぼ同じ療育プランを3年受け続けているコーキに、
同じだけの対応はできない
そんな時間はない
これを説明できるのが「諦観」かもしれない
家庭が、私たち親が、きょうだいが、
無理をしないで、コーキを見守り育てるために必要な考え方
5年間見てきて、一週間や一月、一年単位で、コーキを劇的に成長させることは難しいのだと察して、ある程度のことは諦める
その時、その日、その週のコーキの幸せが優先
その週、その月、その年の娘たちの幸せが優先
コーキのいる、ぐったり疲れる三連休、、、
ケセラセラ
負けるな
今日も踏ん張って
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