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旅じゃなくても恥は掻き捨て:波よ聞いてくれ

「笑われるんじゃなくて、笑わせる人間になれ。」
小さい時に私の母から言われ言葉です。

「カワイイとかキレイよりも、面白いと言われる方が嬉しい」と本気で言う典型的関西人の母は、フリ・オチも分からないような小さい時から私たち兄弟にそういう事を言っていました。
いじられても無視しろ、なら小さい子どもに言うのも納得なのですが、
いじられたら突っこめと言う母は相当珍しいのではないでしょうか。

そんな母の笑いの哲学は、笑いを能動的な物と受動的な物に二分するものでした。
笑わせる人間は巧妙なテクニックで恥を創出し他者に提供する。
笑われる人間は知らぬ間に掻いた恥を自分の知らぬところで笑われる。
だからこそ前者には技術とプライドが必要になるが、後者はむしろこれらを持ってはいけない。
笑われる人間が下手な自尊心を持つとその場が白けてしまうからです。

「恥の多い人生を送ってきました」で有名なあの作品の主人公はどちらかというと「笑わせる人間」になるのでしょう。
彼は小さなころから、敢えておどけて見せるわけですから、場の空気を読み、自身に求められる恥に気が付き、それを実行するのです。
強いて言えば、その笑わせる人間の自尊心が彼の心を蝕むわけですが。

かくいう私は残念な事に笑わせる技術をあまり持ち合わせていないようでして。
クラスや部活の中心人物であった事など一度もありませんし、一発逆転を目指して漫才大会に出た事もありません。
友達百人できるかなと歌っていた幼少期の自分に合わせる顔がない。

それでも、笑われる才能は多いにあるようでして。
私の数少ない友人からは
「生きてるだけで面白い」
と謎の絶賛をされた程です。

確かに思い返すと変なエピソードが多いのは確かです。
初めての海外一人旅で赴いたベトナムでは路地裏で妙な若者に絡まれて、歯ブラシで靴磨きをされたと思ったら財布の有り金を全部取られるし、
高校生の時に勇気を出して告白した女の子には、声が嫌だとフラれるし、
別の女の子には勝手な憶測でストーカー予備軍だと思われる始末だし。
おそらく、何かをスマートにこなせたことはない。
というよりもはや、何かをスマートにこなしてしまうと、今度は何かトチらないといけないという強迫観念に駆られる自分がいるものでして。

そういうわけですので、

あの時の母さんへ、
申し訳ございません。私は笑わせる人間ではなく、笑われる人間になってしまいました。
二十数年このやり方で生きてきたので、今更そうそう方針を変える事はできなさそうです。

波よ聞いてくれ

2020年、私が最後に観たアニメは「波よ聞いてくれ」でした。
月間アフタヌーンにて連載されている同名漫画を映像化した本作。
ずっと気になっていた作品だったのですが、なかなか時間が作れず年末の休暇を利用しての一気見。
多彩なサブカルジョークがテンポのいい会話に織り込まれており、久々に声を上げて笑いながらアニメを鑑賞しました。

スープカレーやで働く主人公、鼓田ミナレは店内でかかっているラジオから自身の会話音声が流れている事に気が付きます。音声を止めさせるために突撃したラジオ局のブースには前日の夜に偶然知り合ったナイスミドルの姿が。彼に才能を見込まれたミナレはラジオパーソナリティーになることに。

というのが本作のあらすじ。

この作品で肝となるのがやはり主人公ミナレの性格なわけですが、
出来る限りネタバレを排除して彼女を紹介すると、
大雑把、頭の回転が速い、サブカルの造詣が深い、破滅型、黙っているとモテそう、な人間です。

特にこの破滅型ゆえの、後先考えずに行った行動による結果はストーリー内での重要なポイントになることが多いです。
公共の電波に乗っているにも関わらず「お前は地の果てまでも追い詰めて殺す」と元カレに対して宣告したり、壊滅的な酒癖の悪さで自分の部屋まで真っすぐ帰れなかったりと、これでもかと無意識に恥を生産し続けます。
その恥の滑稽さに我々リスナーは捧腹絶倒を繰り返すわけでして。

そんなミナレに彼の父は電話でこのようなアドバイスをしました。

「笑われる人間になれ。」

この言葉にはミナレも、そして視聴者であった私自身もポカンとしてしまいました。
笑わせられる、面白い人間になれならまだしも、笑われる人間になれ、というのは果たしてアドバイスと言えるのでしょうか。
しかし、話しが進んでいくうちにこの言葉にすごく重みを感じるようになりました。

この話の中で、ミナレは様々なラジオの形態に挑戦します。
時には電波ジャックに見せかけたラジオドラマ、時には不穏な物件へ飛び込んでの取材放送、そしてある時には遭難して熊に襲われているという設定でメールを読み上げる人生相談。
かなり無茶をさせられているのですが、さらに問題なのは、彼女にはほとんどまともな台本が用意されておらず、多くの場面をアドリブで乗り越えなければいけないということ。

そんなアドリブを彼女は無意識に自虐を盛り込む事で対処します。
破滅的ゆえに多くの恥をかける。
破滅的だからこそ自身の掻いた恥をさらけ出せる。
計算の無い彼女の自虐はまさに「笑われる人間」のそれなのです。

今の日本では人が失敗をすることに対して笑ってはいけないような風潮がありますが、
数々の失敗をしてきた人間としては笑われる方がずっと気が楽な物でして。
そもそも失敗を、恥を笑ってはいけないってなんだか不健全じゃないですか?

「波よ聞いてくれ」にはそういう決して自発的ではない、受動的な恥の笑いを肯定してくれる健全さが全面に出ていると思う。
「聴いてくれ」だと相手に対して注意を促す能動性が存在するが、
「聞いてくれ」だとたまたまその場で起こったことを耳にしたリスナーが笑ってしまうような、
そういうニュアンスが含まれているのかもしれない。

私は不器用な人間だ。
きっとこれからも恥を掻き続ける。
それでも、きっとその恥を誰かが見ていて、聴いていて、
彼らは笑ってくれるし、笑ってくれた彼女らは元気になってくれる。

そういう健全な世界でなら、他所に行っていようがいなかろうが、恥は掻き捨てという気持ちで不器用なりに誰かの力になれると思う。

今回紹介した「波よ聞いてくれ」はNetflixにて配信中です。
気になった方はぜひ。

それではまた今度・・・。

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