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無職…その後…他人の幸せは香水…!?

『他人を幸福にするのは、香水をふりかけるのと同じである…ふりかけると”自分にも少しかかる”からだ…』

目次

①年上ばかりの交友関係から学ばせていただいたこと…

②周りの人に喜んでいただくことは成長につながる…

③贈り物はユダヤの人たちにとって…当然の行為…!?

④織田信長と障害者の乞食…

他人を幸福にするのは、香水をふりかけるのと同じである…

①年上ばかりの交友関係から学ばせていただいたこと…

周りの人に贈り物やご馳走をすることが好きになってきたような気がする…

前職が歯医者さんを対象にしたビジネスだったり…

よく一緒にお酒を飲む上司が日本の成長期を謳歌した世代だったこともあり…

良い贈り物をいただいたり、高価な食事をご馳走していただいたりしている内に…

自分がお世話になって嬉しかったので…自分自身も周りの人に…

お世話させていただいて…喜んでいただきたいという思いが出てきた…


周りの人間関係が年配の方ばかりだったので…

美味しい食事をご馳走したり…良い品を贈ったりすることが…

ひとつのステータスだと感じるようにもなっていた…

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②周りの人に喜んでいただくことは成長につながる…

そのうち、周りの人のお祝いやプレゼントを購入したり…自分が美味しいので

薦めたかったり…相手が大好きなお店の食事を予約した後…

どんな反応をしてくれるのだろう…!?と想像しながらその時を待つことが…

とても楽しいことに気づいた…

そして…相手が喜んでくれた時に自分自身も幸せな気分になることにも気づいた…


自分自身の成長にもつながる…

もっと喜んでもらうために良い物を調べたり…

誰も知らないような美味しい料理屋さんを探したり…

ホテルの上級会員になって…スイートルームやラウンジを活用した格別の宿泊を…

お世話になった方や貢献をした社員へのご褒美などでプレゼントする方法もある…

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周りの人を喜ばせる近道はサプライズだったり…その時に欲しかった物だったり…

その人を成長させるグレードの高い物だったりが代表例だと思うが…

そのためには自分自身が成長して…持っている世界を広げる必要がある…

そして、周りの人を喜ばせるスキルが高くなると…

最終的にビジネスの成功にもつながるのではないだろうか…!?

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③贈り物はユダヤの人たちにとって…当然の行為…!?

ユダヤの人たちは人に贈り物をすることが好きだという…

また…贈り物のための貯金口座も開いていたりする…

ヘブライ語では『慈善』という言葉と『正義』という言葉は同じであり…

豊かな人生を過ごすための秘訣として…

代々継承されてきた部分もあるのかも知れない…

ユダヤの人たちにとって『慈善』は当然の行為なのだろう…


また、ユダヤ人の家庭では子どもの頃から貯金箱を与えられる…

その貯金箱は『慈善』のための貯金箱であり…

貯まるとシナゴーグ(ユダヤ教の教会)を通じて…慈善のためのお金に回される…

こういった福祉制度は…紀元前8世紀まで存在していた古代イスラエルで…

すでに確立されていたとのことである…

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④織田信長と障害者の乞食…

織田信長の家臣が書いた『信長公記』にも下記のような逸話が残っている…

美濃と近江の国境に『山中』(現在の岐阜県不破郡関ヶ原町)というところがあり…

その道のほとりで頑者(カタハモノ 片端・方輪者=身体障害者)が…

雨露にうたれながらも乞食をしていた…


乞食は住所不定で流浪のするのが当時の常識だったが…

以前から都との行き来の際…いつも同じ場所で雨露に打たれているので…

好奇心の強い信長は『何か理由があるに違いない…』と不審に思ったこともあり…

その頑者の乞食を妙に憶えて…気になるようになった…

その土地の村人に頑者の乞食の事について尋ねたところ…

『昔…この山中の宿で…常盤御前(源義経の生母)を殺した者がおります…』

『その因果か…子孫の者は代々頑者(カタハモノ)と生まれて…

あの如く乞食をしているのです…』

『山中の猿とは…この者の事で御座います…』と由来を説明した…


長篠の戦いで武田軍を破った翌月の天正三年六月二十六日…

急遽…都へ上洛することが決まり…慌ただしく準備に忙しい最中…

『山中の猿』の事を思い出した信長は…木綿二十反を自ら出して来て…

それを家臣に持たせると岐阜城を出立し…上洛の途に就いた…

例の乞食がいる…『山中』という集落の宿に信長一行が到着すると…

『この町の者ども、男女に係わらず皆この場へ出てくる様に…』

『申し付ける事がある…』と側近に土地の人々を集めるよう命じた…


『山中』の土地の人々が…どの様な事を命じられるのかと…

不安になりながら罷り出てみると…信長公は木綿二十反を『山中の猿に…』

と土地の人々の差し出した…

土地の人々が木綿を受け取ると…

『この半分を使い…隣家に小屋を建て…かの者(山中の猿)が餓死しない様に…

情けを懸けて置いて欲しい…』と言った後…

『この隣郷の人々も…麦が出来た時は麦を一度…

秋の後には米を一度…一年に二度づつ…

毎年…皆の負担に為らない程度に…少しずつ…

かの者(山中の猿)に分けて与えてくれれば…信長は嬉しく思う…』と言った…


要約すると…持参した木綿半分にあたる十反の費用で…

このあたりに小屋を建てて…一反は着物一着分の布である…

餓死せぬように情けをかけてやってほしいということである…

さらに…近隣の者は毎年の麦と米の収穫後…負担にならぬ程度に…

この男にも収穫を分けてくれれば…信長は嬉しいと言葉を続けた…


乞食の猿は言うに及ばず…山中の土地中の男女は皆泣き…

袖を絞るほど涙でぬらした…

これに立ち会った信長の御供の人々も…上下に係わらず涙を流し…

信長に習って…『山中の猿』の為に土地の人々に米や金品を与えたので…

皆…お礼の言い様も無い様子であり…

かくの如く…『信長公は御慈悲深き故に…

諸天の御冥利(天上界と仏法を守護する神々の助け)あって…

御家門は長久であろう…』と皆言っていた…と『信長公記』は記している…


逸話の真偽はともかく…『山中の猿』へ配慮を村人に協力してもらうことで…

本来…配慮する側である信長自身が…『信長は嬉しい…』と発言していることや…

土地の人々の『信長公は御慈悲深き故に…諸天の御冥利あって…

御家門は長久であろう…』という言葉から…


ユダヤの人々同様…自分たちの先人にも…人を幸せにすることで…

自分自身の幸せにつながる人生観や協力しあって貧しいものをフォローする…

福利厚生の概念もあったのだと思う…

それは…今のように法や制度が整備されているわけではなく…

人々の素直な思いから成り立っているわけで…

それは人類が登場してから600万年もの間に…

幸せな人生を過ごすためのノウハウとして…

遺伝子にインプットされているような気がする…

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他人を幸福にするのは、香水をふりかけるのと同じである…

人間関係とは鏡合わせのようなもので…

周りに優しくする人は周りも優しく返してくれ…

周りに冷たい人は周りから冷たくされる…

自分の経験上…不思議なことに…他人を幸福にすると…

全く関係の無い人から…ご褒美があったりもする…

他人を幸福にすることで…回り回ってそれ以上のリターンをいただくことが多い…

それでなくても…とても喜んでいただくことで…こちらもとても嬉しくなり…

幸せな気分になる…

お金だったり…メンタルだったり…ちょっとしたことで幸せを感じることはできる…


周りの人に感謝の言葉や贈り物を贈り…喜んでいただくことで…

自分自身も幸せになる…

『他人を幸福にするのは、香水をふりかけるのと同じである…ふりかけると

 ”自分にも少しかかる”からだ…』

最近…この言葉に出会って…まさにそうだなと実感すると共に…

周りの人たちに喜んでいただくことが…

『人生を幸せに過ごす秘訣である…』と思うようになってきた…


最後までご高覧いただき…誠にありがとうございました…!!


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