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気持ちと体のギャップに驚く! 〜絶好調と帯状疱疹



しばらくご無沙汰していました。
実は2月に帯状疱疹になりまして、1週間入院。その後も、痛みや痒さと体力低下などに悩まされ、最近、やっと復活することができました。

今回は、乳がん治療中の体調把握の難しさ、帯状疱疹になった過程についてご紹介していきたいと思います。


帯状疱疹までの経緯


私の場合ですが、抗がん剤治療をしている最中は姉が毎日のように家に来てくれて買い物や家事などもしてくれました。気分が悪い、体力ない、あちこち痛い、そんな日々を過ごしていた私にとっては、すごく恵まれた環境でした。

寝たきりの生活をしていたわけではありません。テレワークでケアマネジャーの仕事もしていましたし、時には家のまわりを少し歩いたり、買い物に一緒に行ったりもしました。ただ、一時期はスーパーマーケットの売り場の匂い?で気分が悪くなって買い物途中で帰ってきたり、路上喫煙で流れてきた煙で吐いたり、階段の上り下り手すりにつかまって何とかできる・・・程度にまで体力がなくなっていたのです。

抗がん剤治療→手術(温存、リンパ節郭清)→放射線→分子標的薬治療(副作用のため8ヶ月で強制終了)が終わってホルモン療法2年目。抗がん剤より楽になるはずでしたが、体力は治療前の3割程度で停滞し不眠と倦怠感に引きずられ、仕事をしようとパソコンに向かっても体が動かない日々が続き退社。その後はずるずると社会復帰できずにいる状態が続いていました。

こんな状態ではいかん!
と、一念発起して今年の1月にちょこザップに入会したのです。自転車こぎから始めて、少しずつ筋トレマシーンを加え、トレッドミルでウォーキングも始めました。

おかげで体も軽くなり、体力がついてきたのも実感していました。このまま続ければ春頃にはアルバイト程度からでも、仕事ができるかもしれない。

そんな心持ちでいた2月、ファミレスでランチをしました。
ランチで提供された鶏肉が、ちょっと生焼けで半分残しました。その夜、食欲がなく、嘔吐。ちょっと熱っぽい気もしました。
ああ、チキンにあたったかな?

その時はそれくらいでした。ただ、食欲がなく38度熱が出る日が1週間くらい続きました。気力が出る瞬間を狙ってコンビニに行き、レトルト食品をまとめ買いして、それを食べて過ごしました。ただ、あまり食欲もなかったので、1日1食か2食で十分でした。

異変は、朝やってきました。目覚めると、背中に痛みを感じます。
触ってみると、フリースを敷いて眠ってしまったらしく、フリースのジッパーの痕が背中に凸凹とついているのがわかりました。

ええ! 何、これ。まさか褥瘡(じょくそう、床ずれのことです)? 本当に高齢者みたいになっちゃった!(現在、微妙な55歳)

抗がん剤治療をすると10歳歳をとるというのは聞いたことがありましたが、それを実感として味わっていた私は絶望的な気持ちになりました。
それでも、「数日経てば治るだろう」くらいの感覚でいました。しかし、次の朝には脇腹にもフリースのジッパーの痕。
同じ失敗をまたやってしまった!
自己嫌悪の塊で脇腹を眺めました。

すると、凸凹だけではなく赤黒く変色しています。
私は慌てて背中の写真を撮りました。上手くは撮れませんでしたが(50肩で腕が後ろに回らないのです。何をするにも不便です)、画面の端に写っている赤黒い変色。背中も凸凹だけではなかったのです。

炎症? これって画像検査に映るかも。

私は青くなりました。
連休明けの月曜日は、術後2年検診の検査日。数万円すると聞かされていた骨シンチの高い薬も予約済みです。しかし、炎症に気づいたのは3連休の1日目。私が通う病院は、土日祝は外来受付も電話での対応も休みなのです。病院に問い合わせることも、延期してもらうこともできません。

仕方ない。とりあえず病院へ行くことにしました。熱があることも承知でした。ともかく病院に体を持って行かねば。自分の判断でキャンセルをしては申し訳ない。

その一念で、月曜の検査日私は時間通り病院にいきました。


医療者からの言葉



「過去1週間、熱がありました」と伝えると、当然のように別室へ案内されました。熱を測り38.6度あることを確認、コロナ検査、インフルエンザ検査が陰性とわかった段階で、看護師さんが私の背中の状態を見たいと言ってくれました。

「ああ、これは典型的な帯状疱疹ですね」

看護師さんは一目見ると、そう言って皮膚科の手配をしてくれました。
皮膚科では他の患者さんに移さないように待ち時間なしで、別室で診察を受けました。

「1週間程度、入院しましょう」

ええ! 皮膚科で入院? 私昨日まで、家で暮らせていたのに?

帯状疱疹の経験が全くなかった私としては、素直に飲み込めませんでした。
「ご家族にうつってはいけないし」
「一人暮らしなので、家族はいません」
「買い物に行くのも大変でしょうし」
「レトルトをまとめ買いして・・」
入院しないでいい理由をボソボソと答える私に

「乳がんなんでしょ!」の一言。
これには返す言葉もなく、そのまま入院することになりました。


私、無理してたの?


医師からも看護師さんからも何度も言われたのが
「無理しないで、体調管理をしっかりしてくださいね。免疫力が落ちると帯状疱疹になりやすいので」。

ただ、そう言われる度に、私は違和感を感じていました。
だって、ファミレスでチキンを食べたあの日まで、絶好調だったのですから。体調管理? しっかりしていました。ちょっと寝不足だったかな? 足の痺れで寝つくのに時間がかかる日があるから。でも、それでもちょこザップに通って、体も少し動きやすくなって、ほんの少し家でできるバイトもして、ちょうど社会復帰までの道を思い描いていた時期です。

私自身は、全然無理しているなんて思っていなかった。疲れているとも思っていないし、ストレスもなかったし。むしろ絶好調!
それが、体には負担が大きすぎたなんて。

私の絶好調と帯状疱疹。このギャップに衝撃を受けました。

治療後の体に慣れていないとはいえ、私は今の体の状態を全く把握できていなかったことになります。こんなアホな脳に、この体を任せて良いのでしょうか? 私はこの先、何を基準に体調管理をしていけばいいのでしょう。

私の人生に新たな問題が発生していることに気づきました。

体のことに関しては、治療前までの50年余りの私の経験は役に立たなくなっていることを認めなくてはなりません。もしかしたら、がん治療をした人だけでなく、老いへの過程の中では、誰もが同じような感覚を何度か経験するのかもしれません。


不安? 今の私なら、こう考える


では、どこまでなら大丈夫なの? 

これは社会復帰する上でとても重要な問いです。
アルバイトを始めるにしても、週何日なら勤務できる? 1日何時間なら働ける? 立ち仕事は?
どんな遊びなら楽しめる? ショッピングは? スポーツは? 旅行は?

限界は、限界まで到達した時にしか見えてこないものです。だから、限界までやってみないと自分がどの程度動けるか、それを継続して行えるかがわからない。つまりは子供のようにトライ&エラー?を繰り返して学んでいくしかないのでしょう。

今後の生活について、私は再検討しました。
 
ちょこザップを続けて私の筋力体力を上げていく。
これは必須と言えます。あの程度のスケジュールで帯状疱疹になってしまうようでは、この先思いやられます。老化のスピードを緩やかにして楽しい時間を長びかせるためにも必要です。

もう一つは、若い頃のように予定表を埋めようとしないこと。
あるいは、休養の時間をあらかじめ予定表に埋め込んでおくこと。それも、自分が思っている以上のボリュームで。

そして社会復帰へのスケジュールをもう少し緩やかに進めると同時に、方向性も変えることにしました。

  自分が幸福を感じられない仕事はしない(心も疲れるから)
  場所に縛られる仕事はしない(沖縄との2拠点生活を目指すので)
  過去は糧に、未来に視線を、食事のように今を味わう(苦も楽も)


多分、ケアマネの仕事に戻ることはないでしょう。情報発信やコンサル的仕事にシフトしていくと思います。

不安は時々あります。主に経済的な不安です。しかし不安は行動を起こさせる起爆剤みたいなもの。寿司でいうならワサビみたいな存在。ちょっとはある方が、深みが出るでしょう。ちなみに私が好きな寿司ネタはカンパチと穴子。あ、穴子は塩とワサビ派です。

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