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付喪君・手鏡

「ボクは君の鏡。君の全てを映し出す手鏡さ」

叔母の遺品整理をしていると、アンティークな書斎机の引き出しから出した、凝った装飾を施された手鏡が人に化けてこう言った。
無論おれは驚いた。ただでさえ物が人に変身する経験など、生まれて20数年は経って未だ無い。しかし驚いたのは、化けた人の姿が、あまりにも美しかったからだ。

その髪は。絹を藍染めしたような、深く煌めく青紫。

その瞳は。海を雲の高さから覗いたような、潤いある青。

その鼻は。女神を象った彫刻作品のように滑らかに整い、

その口は。リキッドな唇を開ければ、真珠の質感を思わせる歯と、艶めかしい舌が覗く。

固唾を呑んだ。眼は開き、頬を赤らめて、体も火照ってきた。美酒を味わうかのように、“その少年”を視線で吟味した。
無言を打ち破り、彼は言う。

「ふふ。君、いけないよ。君はボク。ボクは君。自分に欲情してるのと同じだよ」

そう言って彼は、両の指で自らの股間を指さした。
……小ぶりなテントが張っている。何処に勃起する要素があったのか。
あまりまじまじと見るわけにいかず、俯いた。
すると、おれのムスコまでもがいきり立っていた。
目を見開いて驚くさまを、軽く嘲笑って彼が説明する。

「ほら。わかっただろ? 君が引き出しからボクを取り出した瞬間から、君の感情はボクに伝播するようになったんだ。……改めて自己紹介させてもらうよ。ボクは手鏡に憑いた付喪神の、ミシェルだよ。これからよろしくね、新しいマスター」

ミシェルと名乗った彼。感情が伝播? そんな電波な事を言われても、はいそうですかと信じるほど素直じゃない。いろいろ理解が追いつかないが、一つ気がかりがある。若くして亡くなった叔母が、2ヶ月ほど前から言っていた事がある。

わたしはね、わたし以外の人の為にも、常に笑顔でなくちゃいけないの

叔母は独り身だった。仕事もあまり人に関わるようなものじゃなく、誰の事を言ってるのか分からなかったが、そうか。ミシェルの事だったのか。ミシェルに悲しい顔をさせたくなくて、笑顔を維持していた、と。
その仮説を証明するように、叔母は実際、死の直前までとびきりの笑顔だったという。
首を吊って自死した叔母は、最期、笑顔で自らを殺めたのだろうか?余程気が狂わぬ限りは、そんな猟奇的な自死などないだろう。
なにか叔母を死に追いやった原因がある筈だ。

おれは勃起したまま叔母の日記を調べはじめた。

今日はフリーマーケットで手鏡を買ってきた。かなり貴重そう。大切にしよう。
彼が最近構ってくれない。機嫌が良くていつもニコニコしてるのはいい事だけど、鍛え上げた肉体に毎晩触れられないのは寂しい。
なにかした訳でもないのに、彼の機嫌は日に日に良くなっていく。なんでだろう。
久しぶりに、手鏡で自分を見た。相変わらず、わたしは笑顔だった。にもかかわらず、鏡面にヒビが入っていた。手鏡が前に、わたしが極度にかなしい顔をすると、鏡が割れて人になれなくなると言っていた。きのう、こっそりドラマをみて涙を流したのが原因?
彼は今日、いつもより上機嫌で、わたしにサプライズをする、楽しみにしていてと話した。今日は私の誕生日。そんな日にサプライズを予告するなんて、なにを考えているのやら。わたしは爆笑してしまった。

日記はこの日が最後だった。
日記を読んでわかった事を整理してみよう。

・手鏡はフリーマーケットで買ってきた。
・鍛え上げた肉体の彼氏がいた。
・彼氏はいつも上機嫌でだった。
・ミシェルは叔母が極度に悲しい顔をすると割れて人間になれなくなる。
・誕生日にサプライズを行った。

叔母は独り身と思っていたが、彼氏がいたのか。鍛え上げた肉体、と記述があるので、ミシェルのことではないな。彼氏と同棲していたということは、ミシェルは手鏡のままでいる事が多かったということか? そして、ミシェルの性質(叔母の感情が伝播し、悲しみの境地に達すると割れる)的に、日記上叔母の言動にミシェルが割れる要因は無かった。さらに、彼氏に誕生日サプライズをされて幸せの絶頂。自殺するような状況じゃない。

分からない。なぜ叔母は、こんな美少年、そして肉体美を誇る彼氏と同棲していながら、自死を選んだのだろう。ミシェルの性質上、今目の前に彼がいるということは、叔母は最期まで笑顔だったということだ。何故だ?

「そろそろ種明かしをしようか」

ソファに座り寛いでいたミシェルが声をかけてきた。

「マスターの叔母さん、最期まで笑顔だったよ。それはそれは、はち切れんばかりの」

「そうだろうな。だからこそ、それが謎なんだ」

「でも、ボクは割れた」

「……は?」

「なぜなら――――――」

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